物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

マイ・マザー その2

今月の5日に映画「トム・アット・ザ・ファーム」を見て以来(http://machienpro13.hatenablog.com/entry/2014/11/05/215841)、カチッとどこかのスイッチが入ってしまっている状態です。結婚前の、独り身の時代の心持ちに近いような、その頃とむしろつながったような不思議な感じです。

かなり深刻な心の闇を扱いつつ、25歳のグザヴィエ・ドラン監督の若さあふれる現代的で開かれた映画に興奮してしまったということもあります。


そんなこんなで、気になってDVDで見たドラン監督のデヴュー作「マイ・マザー」なんですけどね(http://machienpro13.hatenablog.com/entry/2014/11/16/014813)。

17歳のときに書いた脚本(主人公のユベールは16歳から17歳だから、ほぼ同時代)を19歳のときに映画化したらしいのですが、「トム・アット・ザ・ファーム」と比べようもない精神的幼さに愕然としてしまいました。

いや、もちろんこの時代の危うさをこんなにうまくすくいとれる人はいないと思うし、カット割り、会話のうまさ、ひとつひとつの技から少しも目が離せません。でも、描かれているテーマは、青年期というか、思春期の親離れなんですよね。うちの子どもの幼い視野の狭さと同じレベルですわ。

それにしても、それをよくこんなふうに社会に開かれた映画にできたものです。きっと、才能のある人というのは、この思春期越えのときにものすごい勢いでパッカーンと殻を破るのでしょうね。それを思うと気が遠くなります。

ひとつには教育によって支えられている背景があるのでしょう。高校生のユベールは国語では詩や小説を書いているみたいだし、油絵を描いていて、ジャクソン・ポロックのドロッピングを真似て、交際相手の親の事務所をディスプレイするという場面はなかなかいかしていました。

主人公のユベールが寄宿学校に転校するときには、その交際している恋人がふたりの人形と、なぜかユベールの母親を模した可愛らしい人形をつくってくれます。ママ人形は涙を流しているの。ユベールは恋人よりもむしろママの人形を見つめるんです。大嫌いなママ。でも、誰より愛しているママ。

やはり、親離れがテーマの映画なのでしょう。映画の冒頭ではモーパッサンの言葉が流れました。

「母親への愛は無意識であり、親離れの時初めてその根の深さを知る。」


母というのは、こんなにも重要なのでしょうか。

いや、人によっては、母ではなく父かもしれないし、別の誰かかもしれないし、人間でない場合もあるかもしれません。とにかく信頼し、頼り切っているものから、この時期、切り離されるのでしようね。いや、自分の意志で切り離すのかな。

それによって、一方的に愛されるだけでなく、人を愛することができるようになるのかもしれません。それが大人になるということ。

ユベールは自分で言っている通り、甘やかされた子どもです。母子家庭で、母と息子の関係は親密この上ない。でも、というかだからこそ乗り越えなければならないハードルは高くなってしまう。

アドラー心理学の言うところの「甘やかされた子ども」の困難がここにありますが、それはどちらかというと母親の問題。

一方、やっぱりアドラー心理学が言うところの、ひとりで考え抜く力(数学力?)があるので、勇気をもって乗り越えることができるんですね。これは子どもの側の問題ですね。


なんでこんなことを書いているかと言うと、私たちのグループで企画している〈演劇ワークショップ〉の効果が高いことを実感すると、もっと発展させたいものだと、つい焦ってしまうんです。

スタッフの方々には、このあたりを理解してもらえると良いのではないかと思うんですよ。自分自身の母親を越えることと、母親としての母役割を越えることが必要だと思うんです。