物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

「悪童日記」「胸騒ぎの恋人」

金曜日、サークルの人たちと映画「悪童日記」を観てきました。次号冊子の特集記事の座談会をするためです。原作にわりと忠実につくられた映画だと思いましたが、原作がある映画は、どうしてもその解釈によって少し違った作品になるものですよね。

子どもたちに絵本を読み聞かせるときにも、読み手によってだいぶ印象が違ってくるものです。もちろん、みんなが同じじゃないところがもちろん面白いわけですが、その人の読み方が聞き手にそのまま伝わるのですよね。

映画「悪童日記」を観た印象は、ひとことで言って「子どもというものは教育の仕方によってどうにでも変わってしまうものだ」ということです。つまり、大人が戦争で人殺しをしていれば、人殺しは悪いことではないのだと学んでしまう、ということです。被害者として、運命に流されていく子どもたち。

間違ったことを学ばされてしまった子どもたちは、この後、どのような代償を支払わなければならないのだろうと、ラスト、あまり明るい未来をイメージしませんでした。どっちにしても、責任は教育者たる大人にあるというふうに読みとれました。

でも、原作を読んで私が感じたのは、もっと大きくて広い世界だったような気がします。戦争があってもなくても、大人が何と言おうと、あの双子は自分たちで選択し、学び、生きていくのです。そこに共感したのだなぁと思い出しました。

さて、今夜はグザヴィエ・ドラン監督の映画のDVD「胸騒ぎの恋人」を夫と上の子どもと3人で観ました。表現をする人が勇気を持って、その独自性を表現することで、世界は広がっていくのだろうなぁと思いました。