物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

「マミー」「ヒア・アンド・ナウ」から学ぶ

映画『マミー』は時間がたつほどに良い映画だという気がしてきました。

パンフレットによると、若いドラン監督は、見当違いなことを口走ってしまわないように自分が十分知り尽くしていることを語るのだと言っています。そして、自分がもっとも愛するテーマは自分の「母」であり、普遍的な「母」だと。

僕はいつだって「母」に立ち戻る。僕は母が戦いに勝つところを見たい。僕が与える問題を果敢に乗り越えていくところを見たい。僕は母を通じて自身に問いかける。僕らが黙っているなら、母には正しくあって欲しい。何があろうと、最後の決断を下すのは常に母であるべきなんだ。

子どもとしてのこういう感覚を持った経験は、正直言って私にはない。でも、母としては、なぜかこうありたいと思っています。というより、他に選択肢がない…のか。なので、映画には面食らいましたが、じわじわ効いてきています。

確かに、決断を下す責任を持っている立場にあるのだなと。

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それから、少しずつ読んでいた『ヒア・アンド・ナウ 往復書簡2008-2011』(ポール・オースター J.M.クッツェー 岩波書店)を読み終えました。まさに、ジョンとポールの往復書簡なんですよね。

くぼたのぞみ氏の訳者あとがきを読んで、この企画はクッツェーが考えて最初から出版を目的にやりとりされたものなのだと知り、軽い衝撃を受けました。

じいさんになっていくという、まったくもってばかばかしい運命からどうしたら逃れられるか、「俺の時代にはこうだった」とぶち始めるや、子供たちがこりゃダメだと無言のあきれ顔で目をぐるりまわすような偏屈老人にならずに済むには?(2010年 クッツェーより)

現時点での重大事として僕が関心を持っているのは、どのように、いつ、力の衰えが名乗りをあげるかだ。人は永久に書きつづけることはできない、自分の耄碌からくる、困惑するほど出来の悪い作品でサインオフしたくはない。どうすれば人はある問題に対し、自分がもう正しい判断を下していないと気づくのか?(2011年 クッツェーより)

その疑問は、私にも、年をとることからまだまだ遠い時代からありました。いつまで書けるのか、どうやって書くことが可能だろうかと。なにしろ気の長い作業ですからね、計算ミスはしたくない。

(大学教授よりも市井の読書サークルで学ぶことのほうがはるから現代的で意味があるということにも励まされました。レクリエーションとしての読書には興味が持てず、本当に意味のある読書がしたいですからね。)

これはただの書簡集ではなく、ある意味フィクションなのでしょう。フィクションの形をとって、文学に関心のある読者に届くように疑問に答えてくれているのだと思います。こういった形をとったことで、この本は翻訳されて私の手にも届くことが可能になったのではないかと思うと感動します。

老いについて語っているのはほんの一部で、話題は多岐にわたります。たとえば友情についての話では、オーソドックスな恋愛を語るジョンにポールは三つの理由で反論します。その三つめの箇所。

君は手紙のなかで友情と愛情を区別している。僕らが幼い頃、性愛生活が始まる前はその区別はない。友情と愛情は同一のものだ。

(三)友情と愛情は同一ではない。男と女。結婚と友達づきあいの違い。ジュベールから最後にもうひとつ引用しよう(一八〇一年)。「妻を選ぶ時、その女が仮に男だとして、友人に選ばないような相手を選んではならぬ」。(中略)

結婚とはなによりまず会話で、夫と妻が友達になる方法を見つけ出さないと、その結婚が長続きする望みはない。

また、アメリカ人であるポールの手紙に、オーストラリア在住のジョンはこう言い返します。

「二インチ進んで一インチ戻る」――それが君の国における社会的進歩を表現するために君が使うフレーズだが、その国は世界の主導権を握る者であるゆえに、ある重要な意味において僕の国でもあり、この惑星上のほかのもろもろの人間にとってもそうであるにもかかわらず、われわれ部外者はその政治的プロセスに参加できないという条件のもとにおかれている

書簡の中で、作家二人ともあちこち外国の文芸関連の催しに呼ばれて出かけていることがわかりますが、それも、とても大事なことなのだとあらためて思いました。

実際、2013年春の東京国際文芸フェスティバルで、私はクッツェーの朗読を息を飲んで聞きました。その下準備に初めて彼の小説を何冊か読んで感激していたのです。そうでなかったら、読まなかったかもしれません。

先日、書物の中には先生がたくさんいると書きましたが、やはりクッツェーは最も尊敬すべき先生と言えます。最後の手紙の結びで、クッツェーはこう言います。

世界は耐えず驚きを放出しつづける。われわれは学び続けるんだ。 友愛を込めて ジョン