物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

読書会その2 村上春樹「沈黙」

読書会の午後の部は、村上春樹の短編「沈黙」でした。

レキシントンの幽霊』に入っていますが、私が持っている『像の消滅 短編選集1989-1991』にも入っています。「沈黙」というと、なんとなく遠藤周作を思い出しますが、内容は全然違って、中高一貫男子校のいじめがテーマの物語です。

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飛行機の待ち時間、僕は一緒に仕事をしている大沢さんとコーヒーを飲んでいます。そこで僕が「これまでに喧嘩をして誰かを殴ったことはありますか」と訊ねたことによって、大沢さんの思わぬ告白話が始まります。

それは、大沢さんが中学2年生から高校を卒業するまでの話です。悪役はクラスメートの青木という男。大抵のいじめがそうであるように、些細なことが発端でありながら、当人にとっては深刻な問題に発展していきます。そして、悪役より厄介なのが、周囲の流される人々なのです。

首謀者の青木よりも、青木のような人間の言葉を無批判に受け入れて信じてしまう沈黙を続けた傍観者たち。彼らへの恐怖心が、31歳になった大沢さんに今も続いている…。

この大沢さんの中高生の頃の経験、大抵の人が関わったことがある出来事なのではないかと想像します。現実的な話として読みましたが、妻子を持ち、31歳になった大沢さんが今でも怖くてたまらないというところは、どう理解すればよいのか?

(実は私自身、そんなに遠くない過去に青木のような人物にはめられたことがあります。やはり、青木的人物への憤りよりも、大人になっても多くの人がこういう集団心理から逃れられないんだなぁと、恐怖したものです。青木的人物の嫌がらせがあることが判明しても、何度説明しても、少なくない人々が繰り返し気味の悪いほど流されました。でも、繰り返ししつこく説明するしかありません。大人として、違うものは何度でも違うと言うしかないでしょう。)

「沈黙」レポーターYさんのレジュメの論点に、大沢さんが「クラスの連中とかかわらなかったことと、かかわってもらえなかったことの違い」と書かれていたので、そのことについて話し合いました。また、読解から離れて、どうすれば良かったのかということも話し合ってみました。