物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

「さすらう者たち」「記念」「芋虫」

このところイーユン・リーさんの小説にはまっていまして、長編『さすらう者たち』も読みました。

f:id:machienpro13:20160511225700j:plain

舞台は中国のある新興都市、時は文大革命が終結して地方に下放された若者たちが戻って来た70年代末。物語は実際にあった事件を下敷きにしているそうです。訳者あとがきに、この事件についてイーユン・リーさんが書いたエッセイの一部が紹介されていました。

「一九六八年、湖南省に住むもと紅衛兵の十九歳の女性が、文化大革命を批判する手紙をボーイフレンドに送ったところ、密告されて逮捕され、十年収監された。そして一九七八年、臓器移植のために生きたまま麻酔なしで臓器を抜かれた後、銃殺された。女性の遺体は野に放置され、ある男に屍姦のうえ損壊された。それからしばらくたって彼女の名誉回復のために数百名の市民が抗議行動を起こし、その結果、二歳の母親だったリーダー格の三十二歳の女性を含め、全員が処分の対象とされた――。」

これをイーユン・リーさんが小説にしてしまっているので、目眩がするほどリアルで刺激的で、読み始めたらやめられたものではありません。それでいてせっかく読んでも、登場する人々に災いが降りかかるラストの暗さに打ちのめされます。でも、少しずつ体が物語を消化していくらしいのです。まるで、昔、中国の自由市場で食べた繊維質の多いアブラナ科の野菜の油炒めのよう。

面白いなぁと思ったのは、誰も信用できない世界のようでいて、とてもあり得ないところにピュアな恋愛が成立してしまうところ。そういうところに、生きている実感があると共感し、救われますね。

短編集『黄金の少年、エメラルドの少女』の中の「記念」というごくごく短い作品については、朗読して、親しい友人たちとミニ読書会をしてみました。声に出して読んでみて思いましたが、これもとてもピュアな恋愛が女性の側から描かれています。男性の側は拷問を受けて正常な受けこたえができない状態なのですけれども。

それで、ふっと江戸川乱歩の短編『芋虫』を思い出して、読んでみました。似ているけれど、ちょっと違う。男性は戦争で手足をもがれて芋虫の状態になっているのですよね。そうではあっても、彼の気持ちもとてもピュアで、妻への思いやりがあります。

それにこたえる妻の側はどうなのでしょう。そうか、女性の描かれ方が違うんだなぁと気づきました。日本人の女性が恋愛するのって、どうして難しいのでしょうかね…。