物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

イエスの幼子時代

昨日は市内の小学校に国語の出張授業ということで〈物語に入っちゃおう〉の演劇ワークショップをしてきました。

数冊の絵本読みの後、アプローチとしてメリハリのある物語としてイソップ童話の「北風と太陽」をとりあげ、メインの「ぐりとぐら」にもっていく流れ。

ただ、「ぐりとぐら」は大勢で楽しむより、親子でスキンシップをしながら楽しむ物語だったのかなという印象を受けました。いや、というより、ギリシア時代から語られているイソップ童話の力が想像を絶するものがあるんですね。

1年生3クラスを続けてやらせていただました。クラスによってこんなにも雰囲気が違うのかと驚きました。たまたま集まった子どもたちのカラーだけでなく、先生の半年の指導の違いなのでしょう。

それぞれのカラー、どのクラスが良いとは本当にまったく言えませんが、もし自分が子どもであってここにいたならばどうだったろうなど想像するとその都度冷や汗が出ました。人によって能力を発揮できる場所とできない場所があるだろうなと思いました。

私自身はたまたま小・中・高と何の不満もなく楽しく過ごしてしまいましたが、それはたまたま自分に合った場所だっただけなのかもしれないなぁと思いました。

そんなことを考えたのは、小学校のワークショップというよりも、ここ数日読んでいたJ・M・クッツェーの『イエスの幼子時代』という小説の影響が大きいと言えます。

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過去を捨て、新しい国にやってきたもう若いとは言い難い男、そして、新しい国にやってくる船で知り合った身よりのいない5歳の少年が、母国語を捨て外国語であるスペイン語を習得して、一緒に暮らし始めます。

新しく移民してきた人々には補助金が与えられ、住む場所と仕事も与えられます。男が与えられた仕事は船荷を運ぶ仕事。荷物はすべて人々の食べるパンをつくる小麦粉です。そこで荷役をしている人々はとても親切で、仲間思いで、生きていくことに前向きです。男の疑問に、仕事仲間たちが一生懸命答えてくれようと、議論になることも。そうそう、労働者だちは、仕事の後は生涯学習センターで学ぶこともできるのです。みんながみんな、過去を忘れようともしています。

この冒頭の場面で、ブコウスキーの短編のように荷役の語り手がひどい目にあうのとはあまりに対照的。扱う荷も、ブコウスキーの短編の精肉工場とは対照的に穀類です。

このあたりまではまだいいのですが、少年がの就学後にる問題は他人事とは思えませんでした。この少年、うちの子どもたちを足して2で割ったようなタイプなのです。