「ピッピのくつした」印刷と製本
今日は、読書案内「ピッピのくつした 20号」の印刷と製本があります。
N編集長より:
16日(水)13時~16時頃、中央図書館6階小会議室にて、冊子の製本作業を行います。飛び入り参加、歓迎。作業の後、できたてホヤホヤの「ピッピのくつした」をお持ち帰り頂けます。17時頃~近隣居酒屋で打ち上げをする予定です。
あれから、早速「ロミオとジュリエット」を読んでみました。そうそう、ディカプリオのロミオは映画で見ましたっけ…
本と比べると、映画はやはりちょっと歳をとりすぎている印象はありますね。ロミオとジュリエットは若くて純粋だから、悲劇になってしまうのですからね…。ジュリエットなんて、14歳の誕生日がまだきていないのですよ。
シェークスピアがその名をとどろかせたのは、登場人物の心理を克明に描いたところにあると言われていますが、まさにその通り。すごいな…。
戯曲は五幕もの。舞台は14世紀のイタリアの都市ヴェローナです。街では、モンタギュー家とキャピュレット家がいがみ合い、ちょっとしたことでケンカ騒動に。そのモンタギュー家のロミオとキャピュレット家のジュリエットが恋に落ちてしまうのです。神父様に相談し、こっそり結婚をしてしまいます。
その直後に運命のいたずらのような事件。恋するロミオは両家がぶつかることをできるだけ避けてはいるのですが、親友が刺し殺されたのを見て、ついその相手であるジュリエットの従兄を殺してしまうのです。
普通なら死罪ですが、ロミオは温情でヴェローナからの追放を言い渡されます。しかし、ジュリエットと結ばれたロミオには死罪にも匹敵すること。
一方、激しく悲しむジュリエットには、従兄が死んで塞いでいるのだと勘違いした父親は、大金持ちのパリスと結婚する事を命じます。これまでロミオとの橋渡しをしてくれていた乳母も、パリスとの結婚をすすめてきます。
八方ふさがりのジュリエットは、神父に仮死になる毒をもらって自分の命を賭けることに。ところがここでも、運命のいたずら。不慮の事故により、ロミオに連絡の手紙が届いていないのです。
死んだ状態で墓場に運ばれるジュリエットと、ジュリエットが死んでしまったと思ってジュリエットの傍らで毒を飲むロミオ。死んでいるロミオを見て、目覚めたジュリエットは短剣で自分の胸を刺します。
この間、二人の間に意思の疎通はありません。シェークスピアの戯曲も、見た芝居もそうでした。でも、映画では、ほんの少しの間、会話が交わせたように記憶しています。見ている側にはきっと、二人を合わせたいという心理が働くのでしょうね。その気持ちはわかるような気がします。
新潮文庫(中野好夫訳)の戯曲を読んで一番驚いたのは、まだ14歳にもならないジュリエットがロミオとの恋で目覚めてしまうところのリアリティです。それまでは可愛がられすぎていて、父親にも母親にもそうとう幼く見ているのです。
第一幕、ロミオの会う前のジュリエットは母親とこんな会話をします。
キャビレット夫人 (略)ねえ、ジュリエット、あなたは一体どういう気持ちなの、結婚することについて?
ジュリエット そんな身に過ぎたこと、まだ考えてみたこともありませんわ。
パリスと結婚させることは、最初から両親の希望ですが、父親のキャピュレット氏も結婚は2年後くらいではないかと考えているようです。そのことについて、母と娘のこんな会話もあります。
キャビレット夫人 一言でいいから。パリス様を好きになれそう、どう?
ジュリエット 好きになれるように、お目にかかってみるわ、眼で見て、それで好きになれるものならね。でも、それはお母様のお許しの範囲内でだけよ、それ以上深く、私の視線の矢を飛ばせることはお断りだわ。
これが、ロミオと会い、二人の時間を過ごすうちに変わっていくのですよね。さすがシェークスピアです。時代も国もふっとばしてそこが現実感をもって想像できるだけに、恋愛は怖いなぁ…と思いました。特に、エネルギーの満ちた若いうちの恋愛は。
でも、そこが想像できるから、見ていて面白いのですよね。そのエネルギーをもらえるというのが。演劇を見る意義はそこにあると思うのです。それがなかったら、意味がないですよ。