物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

保護色猫 見られ方と見え方

明日は雪が降るかもしれないんですね。さすがに寒くなってきました。

昨夕は森でまた保護色猫を見かけました。これは、自分でわざわざ木の根元に入って保護色を意識しているのではないか…?

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そう考えると、先日のもやっぱり石のふりをしていたのではないかと思えてきます。

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なんか猫の観察ばかりしていますが、森を歩いていても、犬を観察する機会がないということが理由にほかなりません。犬の方が人間に近く、猫の方が自然に近いのかな?

私はいまだにガラケーを使っているので(別にそういう主義というわけではなく、ただ面倒なのと経費がかかるのが嫌なのとで)すが、ブログに写真をアップするようになって、むしろガラケーのカメラが面白いなと思うようになりました。

カメラのズームもきかないし、あれこれ調節もできませんが、そのまんまその時の自分が見ていたものに近いものが撮れることから発見があるんです。印象と写真がほぼ一致していることもあれば、ものすごくギャップもあることもある。たぶん自分で無意識的に調節して見ちゃっているのでしょうね。

上の写真でいうと、昨日の木の根元猫は夕方、石猫は朝でかけるときに見かけました。きっと朝の私の方が元気でつい猫に近寄っているのですね。猫のほうもこちらを意識してかなり警戒色が高まっている感じ。猫との距離感もはっきりわかるようです。

先日友人たちと静物をスケッチするという機会があったんです。といってもほんの戯れだったので5分という時間に限定しました。

私はふと目にとまった植物や虫を思わずスケッチすることはよくあるのですが、そういう空間をわざわざつくるというのは久しぶりだったので新鮮でした。そして、描いてみて勝手が違うことに驚きました。

それで、あれ、もしかしたら、私の見方は変わったかも…と気づいたのです。そのものの特徴にももちろん目がいくのですが、関係性とか距離が気になって、そこばかり描こうとしているんです。これは昔からですが、時間ということも気になってしまって、時間を一生懸命描こうとしてしまう。これって小説の描き方なのかもしれない…?

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これもまたいいかげんなガラケーの写真です。