物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

マイナスより生みだされるもの

アンソニー・ドーアの小説に、目の見えない人が出てくる作品がいくつかあることが切っ掛けだったのだと思います。目が見えないというのはどういう状態なのだろうと無意識に興味を持っていたみたい。

そういう私の気持ちを察して、友人が『目の見えない人は世界をどう見ているのか』という本を貸してくれました。読んでびっくり。謎が少し解けたような気がしました。

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見えない人にとって、触覚はとても大事なのでしょうけれども、触覚に過度に敏感ということとは違うというようなこと。単純に欠けたところを別の部分で補っているというわけではなくて、まったく別の感覚を持っているということです。

以前、ピッピの読書会でエリック・カールはらぺこあおむし』の絵本をとりあげたときのこと。分厚いページの葉っぱやら食べ物の絵に穴があいているというのが美術系の人の触覚に訴えるという話になったのです。なぜかわからないけれど、絵を描く人には色々なことを触覚で強く感じる人がいるのではないか、と。

美術家のミズタマさんもそうらしいですが、私もそうなんです。

ただ、実際に何でも触ってみたくなるということではなくて、触るように見ているというのかもしれないし、この本に出てくるように視覚が閉ざされているとものごとを立体的に把握してしまうという感覚にも近いと思うのです。そのために、わざと視覚を閉ざすということも習慣的にしているような気がするのです。

自分では昔からの習慣なのでよくわからないのですが、この本を読んで、少しだけ意識して考えることができました。つまり、目が見えないということがマイナスとばかりは言えないということです。視覚だけでなく、社会的にマイナイと思われていることが、個人にとってマイナスとは限らないのではないでしようかね。

アンソニー・ドーアシェル・コレクター』には盲目の貝類学者が出てきて、貝を触ったりするのですよね。どんなだろう、と思っていたら貝もいただきました。触り心地はだいぶ違いますよ。

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そうでした。気がついたら誕生日も過ぎていました。

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