物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

「高丘親王航海記」

土曜の夜、澁澤龍彦原作、天野天街脚本・演出の人形劇「高丘親王航海記」を観てきました。高校生の子どもが観たいというので、私も一緒に行くことにしたのです。

観た直後は感動というよりも、あっち側に行ってしまってうまく考えられなかったのですが、一晩眠って距離をおいたことで整理ができてきたような気がします。じわじわ来る感じです。これ、天野天街氏作成のチラシ。いつも力作ですが、今回の色にもその感じが出ているような気がします。

f:id:machienpro13:20180409114447j:plain

実は、澁澤龍彦の原作も出版された頃に読みましたが、あまり覚えていません。80年代後半でしたか、友だちとルームシェアしていて毎週末色々な人が大勢集まって生きものとして熱い時期を送っていたので、入り込めなかったのかな。

同じ頃、毎週のように小劇場に通っており、天野天街主宰の少年王者館の公演をやはり下北沢のスズナリで観てショックを受けていました。こちらは上のチラシのイメージ通りの舞台で、私にとってはえらく刺激的でした。癖になりましたから。

時代のせいなのか、年齢のせいなのか、あの頃はある種の刺激が過剰にあり、更に刺激を求めてたたのですが、それを今も同じように求めていくのには無理があって、そういう状況で観た「高丘親王航海記」はとても良かった。

ラッキーなことに、私が観た公演の後にアフタートークがあったのです。昔よくお見かけしたえにたもみいち氏の進行で、フランス文学者の巌谷国士先生と天野天街氏が語り合うという企画です。

巌谷先生は開口一番、澁澤龍彦は人形みたいな人だったと。人間に似ているけれども人間のふりをした人形。この物語は生身の人間の芝居ではなく人形劇なのが良かったとおっしゃっていました。なるほどぉ…と唸ってしまいました。演劇や美術と文学の違いもそういうことじゃないかと思うのですけどね。

f:id:machienpro13:20180408151212j:plain

巌谷先生を囲んで人形たちとの撮影タイムもありました。

 

実は、この前日の金曜の夜、従弟の訃報を聞きました。もう何十年も会っていないのに、子どもの頃は身近で育ったので、少年だった彼の記憶が生々しく悲しくてたまらない状態でした。子どもというのは、その人の本質みたいなものが表にそのまま出ていますからね。私がちょうどそういうものに感じやすい思春期だったこともあります。

それが高丘親王の幼少期のシーンと重なり、この物語が向かう結末に救われました。物語というのは、そういうものですね。(同じ虎が出てくるにしても「山月記」とはなんという違いかと思いました。)

この人形芝居を観ることが追悼になればと思いました。