「わたしを離さないで」
ノーベル文学賞を受賞したカズオイシグロの「忘れられた巨人」の先月の読書会の後、「わたしを離さないで」を読まないではいられなくなりました。たぶん同じように読んだかたも多かったのでしょうね。
一般に小説はひとりで読むものと思いますが、読書会で色々な側面から読み解く面白さを知ってしまうと深い小説は読書会でとりあげて見たくなります。そうして、せっかくだからとこの作品の読書会もすることになりました。
いや、実際、臓器移植がテーマのディストピア的な小説の毒気にあてられてしまって、読書会で解消したいという声も多かったのです。
(確かにね。何ねんも前に読んだうちの娘もいまだにもやもや感が残っているというので我が家でもミニ読書会をしましたよ。)
でも、そのねっとりしみついた読後感というのが解消できたかというと難しく、ふりはらっても、ふりはらっても何かがへばりついている感じなのですよね。それだけでなく妙な既視感がある。
臓器の提供者である若者たちの気持もわかるようでわからない。いや、わからないようでいて、わかってしまうといったような気持ち悪さがある。
読書会では色々な意見が出たし、だいぶ読み解いていった手ごたえはあったのですけれども、うーん…
つまり、差別は差別される側の精神を蝕み、変質させてしまうということ。正常に戻すためには結局内側ではなく、外側からの改革しかないのかもしれないなぁとも。だとしたら、本当に難しい…。
(このへんは、来月の「苦海浄土」でも考えてみたいと思いますが…)
はっきり言えることは、カズオイシグロしたことはノーベル文学賞を受賞するべき作家だということでした。似たようなテーマの小説はいくつか思い浮かびますが、そのどれも到達していないところまで行けてしまっているのではないかな
もしかしたら、この時代の私たちがまだこの作品を読むのには早すぎるのかもしれません。