物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

サークルを続けるためのノウハウ

1月15日、公民館で小さなお子さんを持つお母さんたちに「サークルを続けるためのノウハウ」という話をしてきました。私もかつてあまりに大変な子育ての中で助け合える仲間を求めるあまりにサークルを作った経験がありますので、少しでもお役に立てたら嬉しいなという気持ちで引き受けました。

いただいたお題に沿うとしても、どういう切り口にするかによって内容は変わってきます。20年前、自分がサークルを立ち上げる時に知りたかったことに絞って、できるだけ手短に話してみることにしました。

内容はおおまかに分けて2つ。

ひとつは、サークル〈ピッピのくつした〉の紹介。規模、形態、性格、活動はどのような経過をたどって現在にいたったか。

もうひとつはサークルを立ち上げる時に具代的にどんなことが必要だったか、何を参考にしたかということ。また、その後も気をつけていること。続けていくコツのようなこと。

今回のレジュメを書いていて、また実際に話をしていて愕然としました。それが日常になっているのであまり意識していなかったのですが、サークルを続けるためにいつも自分が体を張っていることを実感しました。生活の中でかなり優先順位が高いので、確かに、サークルのためにはたいていのことを犠牲にしてしまいます。

ほぼ見返りのないボランティアとして活動していることなので、自分の気持や動機に忠実に、決して無理をしてはいけないとメンバーに言っているにも関わらず、自分では無理をしているのですね。

もちろん、その結果としてびっくりするほど自分の能力が高まったということがあります。高まったのは物事を多層的に見る力で、小説が書けるようになってしまった。でも、あくまでも結果としてです。

公民館の講演でもやはり、一番大事なのは自分自身の純粋な動機だと話しました。本当にやりたいと思う気持ちがなければ続かないと。サークルとしてもその活動を続けていくための意義が必要ですし、参加している個々人にも純粋にその活動をしたいという動機が必要です。

お話をした後に質疑の時間があり、そこでも個人的に負担がかかりすぎているのではないかという質問がありました。負担があってもやるだけのプラスの動機があるし、負担軽減のために意識して活動と生活を分けているというようなことを答えたのですが…。

でも、私がそのしんどいことを20年もやっている具体的な動機は何だろう? 

講演をしたあと、そんなことをぐるぐる考えながら、メンバーであるプー子さんのお誕生日のランチに駆けつけました。サークル活動ではなく、プライベートな5人でのランチだったのですが、その場にいる自分がとてもリラックスしているのに気づきました。

リラックスしていると、口から出る言葉の多くが疑問形なのですね。〇〇って何だろう?どういうことなのかなぁ?どういう意味? それに対して他のメンバーが、こういうことじゃないかな、こう考えるといいんじゃないかな、など答えています。

それで正しい答えが得られるわけではないのですが、色々な方向から見たときの印象を教えてもらうことによって、その不可解だったものが立体として少し把握できるようになってくる感覚があります。それがすごく自然だし、落ち着くのです。

たぶん家族でいるときに母親という役割を常に持っていなければならなかったり、利害が関わっている仕事でも役割を担わないといけないので、なかなか純粋な疑問を口に出せないのですが、サークル集団は純粋に信頼関係で成り立っているのでそれが口にできるのだなぁと思いました。

つまり、サークルとはものごとを前向きに考えるためのひとつのシステムかもしれない、と思ったのです。サークルって、生きるために必要な、わりと原初的な人間の営みなのかもしれないなと思いました。