物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

クッツェー「モラルの話」読書会 その2

クッツェーの単行本『モラルの話』の中に入っている「老女と猫たち」を今月の読書会でとりあげました。

読書会の後、予想外に盛り上がっています。色々な方にこの小説について感想をもらったり、疑問を受けて多くの会話をしました。やはり良い小説というのは、あとからじわじわ効いてくるものなのでしょうか。

読書会でこの作品をとりあげたきっかけは、メンバーにこの本を購入してとても面白く読んだというかたと、途中で苦しくなって読み進められなくなったというかたがいたからなんです。二度目は最後まで読んですっきりしたそうなのですが、最初はなんで読めなくなってしまったんだろうと。

読書会当日は、そのひっかかりの部分が何かということに多くの時間を割いてしまった感はありました。〈猫には顔がない〉という部分です。そこを解かないと、入っていけないですからね。

ただひとりの大学生の参加者には、そこにみんながひっかかる意味がわからないと言われました。でも、世代の問題ではなくて、大学の仲間と読書会をしたとしてもたぶんそこでひっかかるだろうということでした。何かにひっかかると思考がストップしてしまうと先に進めなくなるので、とりあえず保留にして後で考える手もあるのではないかと。

なるほど、そうできると良いのかもしれません。

もうひとつ、先月出版された『天才は凡人に殺される』(北野唯我著 日本経済新聞出版社)と比較する読み方を複数の参加者とすることになりました。この本は、「職場の人間関係に悩む、すべての人へ」というサブタイトルがついている、ビジネス関係の本です。

天才(創造性)、秀才(再現性≒論理性)、凡人(共感性)という三つの立ち位置で考えていくとものごとがどう解けるかという本かと思います。3者は釣り合っていないんですね。

天才は、秀才と凡人にプラスの感情を持っている。秀才は、天才にも凡人にもマイナスの感情を持ちやすい。凡人は、秀才を天才と勘違いして尊敬し、天才にはマイナスの感情を持ちやすい。

↓これ、すごくわかりやすかったです。
https://r25.jp/article/645192431250156302

色々なところにあてはめられ、実は私たちのサークル〈ピッピのくつした〉の中でもこの構図で読み解くと、色々と改善すべき問題が浮き彫りになったりしました(^-^;

「老女と猫たち」には、クッツェーの分身のような老作家であり母親のエリザベス・コステロと、その息子のジョン、母親が面倒を見ている問題行動のある男性パブロが出てきます。この3人をそれぞれ天才、秀才、凡人と考えて読むとどうかと。

この小説が秀才である息子ジョンの視点で語られていくので、天才である母親にも、凡人であるパブロにもあまり良い感情を持っていないのですよね。もしかしたら、それが現代人の推奨される立ち位置なのかもしれません。

そして、意図的にその秀才の立ち位置にいる人に向けてエリザベス・コステロが必死に語っている小説なのかなと私は思いました。彼女の言葉に聞く耳を持たないと、なかなか読めない。天才の言葉はわかりにくいですから。