天才、秀才、凡人
昨日の例会は午前中とりあげた平田オリザ著「わかりあえないことから」の話から北野唯我著「天才を殺す凡人」の話に移行し、午後の読書会まで微妙に繫がりました。
前者は今求められているコミュニケーション能力とは何なのかということとこれを伸ばすために演劇を使うことがかなり有効であるということが書かれた教育論の本。後者は企業の中でイノベーションを起こすにはどうしたらいいかということを物語仕立てで説明しているビジネス書。分野が違うだけでなく、タイプの違う著者の異なる視点で書かれた二つの本ですが、だからこそ見えてくる世界が立体になって感じられました。
またそれが見えるということは、私にも、参加者の皆さんにもそれと重なる視点があるということなのだと思うのですよね。
この本…
教育現場の試験で問われていたのは「おそらく『学力』ではなかった。そこで問われていたのは『従順さ』と『根性』だった」と言われると、ぴんときてしまいます。というのも、私たちがやっている読書会でも読解に必要なのが従順さと根性だと誤解されることが少なくないからです。
お手本を上手に真似ることによって言葉を学ぶことはできますが、物語を自分に役立つ形で読み解くことはまったく別の事柄です。
そして、この本。
天才、秀才、凡人「三者のコミュニケーションは、『軸』が違うから永久に交わることがない」という言葉に、やはりそうなのかとゾクゾクしました。
「1.主語を、人メインで語る人。凡人に多い。
2.主語を、組織やルールなどの、善悪で語る人。秀才に多い。
3.主語を、世界や真理など、超越した何かで語る人。天才に多い。
大きく言うと「主語が『人』『組織』『世界』の三つに分かれる」のだと。
秀才が秀才と呼ばれるのは、やはり従順さと根性が問題とされる学校教育ではこういう人が評価されやすいということなのでしょう。世界も人も大事にしない秀才が評価されすぎることが少々心配に…。
ピーナツ羊羹なるものをいただきながら、そんなことを語り合いました。