読書会の方法…「目の見えない人は世界をどう見ているか」伊藤亜紗(光文社新書)
「目の見えない人は世界をどう見ているのか」(伊藤亜紗著/光文社新書)
この本は出版されたときに読んで感銘を受け、目の見えない人と一緒にダンス公演を鑑賞したり、関連の講習会を受けたり、各種ワークショップをやってみたりとかなり色々なことをやるきっかけになったのです。それなのに、今回再読して初めてハッと気づきました。
なんで以前は思わなかったのでしょうね”(-“”-)”
ここで紹介されている目の見えない人と見える人が一緒に美術館でアート作品を鑑賞するという行為は、読書会そのものなのですよ。愕然としました。
本の中で直接語られているのは第4章「言葉」他人の目でみる、というところです。
この見えない人と見える人が一緒に美術鑑賞するというワークショップのやり方はだいたいこんなふうに説明されています。
・見える人は2つのことを言葉にします。
- 見えているもの(客観的な情報)
- 見えていないもの(印象や思いついた事柄や個人的な経験など)
・見えない人は質問し、自分で考えて意見も言います。
・見える人も見えない人も、自分の身に引き寄せて考えた事柄やはっきりしない印象などを丁寧に言葉にしていき、それらをつなげていきます。そうやって皆で一緒に作品の解釈を練り上げていきます。
これは他人の目でものを見る技術であり、お互いの違いこそ生きてくるのだと。
なるほど!と思いました。違いがあることで、見えない人がいるグループトークが面白くなるわけです。
この本で紹介される見えない人の特殊能力で印象的なのは、世界を基本的に三次元で把握しているということです。そんなの、見える人だってそうだよと思いがちですが、視点を持っているとどうしても写真のように平面で考えてしまいがちなことに気づきました。たとえば、富士山に対して持っているイメージです。見える人が平面的な三角形であるのに対して、見えない人は立体の円錐形であるのだと。
これ、あれこれ考えてみると思っていたよりずっと大きな違いなのです。
というわけで、実験的に見えない人と一緒に鑑賞するワークショップをやってみました。見えない人が立体把握しているらしいので、それを最大限生かそうと鑑賞するものは立体にしてみました。
見えない人役の人にはアイマスクをしてもらってから、ポップな立体オブジェを設置しました。じゃーん!
アイマスクをつけて体験した人の感想を紹介します。
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「んん? なんだコレ」
「これは立方体ですね。それに脚が生えてる。三本」
「木の脚だね」
「古いブラウン管テレビのような感じですか?」私が質問する。闇の中で、すでにぼんやりと像が浮かんでいる。
「いや、えっとね、立方体なんだけれども、その尖ったところが上と下になっているんですよ」
頭の中で立方体の像が瞬時に半回転する。
「なるほど。じゃあ足は立方体の下の面か辺の部分から突き出してるってことですか?」また質問してみる。
「辺からです」
「上の三つの面には星型、丸、三角の窓のような穴があって、そこから何か飛び出していますね」
「にょろにょろした感じ。柔らかそうな白いものですね。生き物かな」
「で、そういう立方体が三つあるんですよ」
「ええ?」脳内の像がいきなり分身する。
「一つは倒れていて、残りの二つはちゃんと脚で立っています」
「それからその三つの周りに何か蛹のようなものがいくつもいくつも転がっています」
「それは白いんですか?」
「白いのもあるけれど、まだら模様のやつもあります。まだら模様のやつは全体がまだら模様というのじゃなく尖った部分なんかが部分的に淡い色でマーブリングされてるような」
「病気みたいだね」
「不時着した宇宙船なんじゃないですか」私も意見を出す。段々と《みえて》くる。
「例えばですけどね、宇宙船が別の星に不時着して、でもその宇宙船には病原体が付着していてその星の生物の蛹に感染してしまっているとか。それでにょろにょろたちが宇宙船の様子を調査しに行ってるのかな」自分でも驚くほど言葉が出てくる。
「ちょうどはやぶさに積まれたミネルバという小さい人工衛星をイメージしているんですけれどね。その棒、或いは針のような三本の脚が振動しながら重力の小さな星の上を飛び跳ねて進むんですよ」想像が止まらない。
見えないと、ものに対して脈絡を見つけようとする。結果として、見えているときには見えないものが見えてくる。見えているという安心感で見過ごしてきたものがよく《みえる》。
読書会って、本当にこういうものだと思います。