物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

小説「『怪談』読書会」

今度の「抒情文芸」夏号に小説を載せてもらいました。本当に有難いです。

 



「『怪談』読書会」というタイトルの短編小説で、現代の雪女一家を描いています。

実は、これ、シナリオセンターのゼミで書いた3つくらいの断片シナリオをベースにしながら想像を膨らませてできた小説なのです。

 

 

私のイメージとして、小説というものは主人公の気持ちに寄り添い、中身がギュッと詰まっている感じです。
シナリオの方はあくまで外側から見たもので、風船のように膨らんでいます。中身は見えません。

 

今回、それを補いながら書けたら面白いかもしれないと試してみました。 

(小説→シナリオという逆の方法も試してみたいです。)

 

小説とAIの関係ってどうなるのかなぁと最近はかなり不安になりつつ、なぜ一生懸命書くのかなぁと考えてしまいます。

 

ひとつには、小説を読むことと同じく、書くことも人間にとって必要なんじゃないかなぁということ。人生の迷子にならないように、ヘンゼルとグレーテルのように小石を置いているだけなのかもしれませんね。

「タイムスリップ・コンビナート」読書会

5月は5週目29日に読書会例会がありました。

 

課題本は、30年以上前に芥川賞を受賞した
笙野頼子さん「タイムスリップ・コンビナート」です。

 

 

何者かの電話に示唆され、東京家政から電車を乗り継いで

鶴見線の突端で一般人は下車できない海芝浦まで行く話です。

 

その途中、NHKドラマにもなった

鶴見区の沖縄会館に立ち寄る場面もあったり 

作家特有の幻覚的世界と生まれ育った四日市の思い出が

幻想的に絡まり合ったり…。

 

一般的な構造になっていないので、

なかなか1人で読むのは骨の折れる小説です。

そのために読書会はあるのですよ~😅

笙野頼子さんと言えば、マジック・リアリズム

というイメージですが、海芝浦へ行くということでは

紀行文的だし鉄道小説という見方もあるのかもしれません。

 

読書会では鶴見出身の参加者もおられたので

鶴見の話も聞け、また、実際に海芝浦まで行ってみた人の写真等

も見せてもらって現実味がわきました。

 

私も実際に行ってみましたが、

予想外に小説に書かれた通りの世界が広がっていて

案外30年たっても変わらないものなんだなぁと意外でした。

 

 

沖縄会館の食堂でいただいた沖縄そばは蒲鉾と紅生姜とネギが入っていて

小説から想像した通りの美味しさでした。

あちこちから「100周年だから…」という単語が漏れ聞こえ、

何だろうと思っていたら、横浜・鶴見沖縄県人会が来年100周年だそうで、

沖縄会館が新しくなるそうです。

ちょうど節目だったのですね〜。良い会館ができてほしいです。

 

でも、その前に読書会で取り上げ、

当時の空気を味わうことができたことはラッキーでした。

実際にこの本を取り上げたのも、当時のように現在、

時代の節目を感じているからのような気がします。

 

最後に行き着く海芝浦の駅は、一方は会社の敷地、

一方は茶色い泡が浮いた海が広がっています。

この小説が発表された30年前も、降りることができない駅のホームに佇んで

日本はこれからどこに行くんだろうと考えたのかもしれませんが、

今はまた別の意味で、同じことを考えてしまうのかもしれません。

 

 

なお、鶴見線終点の海芝浦には、読書会開催地の町田から1時間弱で行けます。

身近なところに不思議な場所ってあるものなんですね〜。

 

片側は会社、東芝の社員か関係者じゃないと降りられません。

もう片側は海なのでもちろん降りられません。

海面には無数のミズクラゲがプカプカ浮いていました。

 

30年前にタイムスリップしたような気がするとともに、

未来が見えるような気もしました。

 



写真集『天沼』 ルームシェア

先週、読書会のメンバーWさんに「ニセ家族」の新聞記事の切り抜きをいただきました。

👇️

天沼(1996年) 「ニセ家族」4人の記憶〈一枚のものがたり〉広瀬勉:東京新聞デジタル https://share.google/6HUBQdPIi3CGsuVJA

翻訳家で澁澤龍彦さんの最初の配偶者でもあった矢川澄子さんが、その昔テレビの人気番組だったイカ天で「たま」を見たことをきっかけに、人づてに紹介してもらった「たま」のメンバー知久寿焼さん含め、舞踏家の室野井洋子さん、写真家の広瀬勉さんと4人でルームシェアしてしいたというのです。

それは90年代最後の頃の話で、なぜか今、このときのことが『天沼』という写真集として出版されたというニュースでした。意味深ですね…。

 

私にはかなり高価ではあったのですが、興味をかきたてられ、早速、注文して買ってしまいました。年をとってくるとせっかちになるのです。

ページを開くと、やはり時空の隙間にでも入っていくような心地よさがあります。…この感じ、たまらないです。

(そうだ、私もその昔、写真を撮っていたことがありました。自分で現像し焼いてまいました。写真をやっているたくさんいました。)

矢川澄子さんという人はあまり知らないけれど、翻訳した本から矢川さんのイメージは持っていました。ポール・ギャリコとか、子どもたちと集めたヤーノシュの本、今でも大好きなアトリー『むぎばたけ』などうちに何冊もあります。

それと別のこととして、もちろん知久さんのCDやレコードやカセットも持っています。昔からの普通に好きで、ファンだからです。

室野井さんが仲介を依頼した名古屋の劇団関係者というのは、少年王者舘かなとは想像がつきました。少年王者舘の公演も結構観ました。やはり、繋がっていることはわかりました。

 

でも、この記事で一番驚いたのは、ニセ家族と言われてしまうような年齢差もあるやや不可解な組み合わせのルームシェアに至った経緯でした。なぜなら…この記事を読んで思い出したのですが、実は、私も同じ経緯でルームシェアをしたからなのです。時期的にはもう少し前、イカ天直後の1990年から数年です。

 

1989年の寒くなり始めた頃です。夜中に放映されていた番組イカ天を、当時OLになって間もない私も偶然見ました。深夜帰宅して、話題になっていたので見てみようと思い立ったのです。それが、ちょうど「たま」が出場した初回でした。

 

あまりの衝撃に、テレビのブラウン管に顔を近づけたまま固まりました。「いや、おかしいでしょう」とつぶやいていました。公共の電波でこれ?と信じられなかったのです。何人かの友だちに「テレビつけて」と電話したような気がします。

(当時はケータイもなかったので、夜中によく電話しました。)

 

私の頭の中では、それまで信じていた常識のようなもの(言われたことをやり、流れに流され、何事も無難にこなす)が弾け飛び、呆然としました。

このままでは自分はダメになってしまう。すぐに家を出て自立するべきだし、新しい人間関係を開拓すべきだと悟りました。私はかなり慎重なタイプのはずなのにすぐに実行に移していました。

 

当時、経済的に余裕がなかったので、友人たちを誘って3人で古いアパートを借りることにしました。2K風呂なしのアパートです。ルームシェアと言うより、それこと疑似家族、共同生活でした。

更に、そこに大勢の友だちを呼び、毎週末の飲み会はもちろん、歩いて東京縦断とか、影絵公演とかおかしなイベントを企画しました。友人たちは芋づる式に増えていき、カンパももらえて助かりました。

 

(ただし、あまり長続きはしませんでした。イベントでかつて同級生だった夫と再会し、その後、同棲を始めることになったからです。90年代後半には結婚して子育ての生活にシフトしました。

これはこれで、人生が大きく変わるターニングポイントではありました。人生が変わると、友だちも5割くらい変わります。これは、また、別の話になりますので、今は置いておいて…)

 

思い出すと、イカ天で見た「たま」の演奏には、何かものすごいメッセージ性があったのではないかという気がします。何か原始的な本能がかきたてられ、仲間と繋がりたいという強い目的意識が発動してしまったのではないかと。

そして、人生が大きく動くきっかけになりました。そのおかげで今があるのです。

 

今、ちょうど小林武彦さん『なぜヒトだけが幸せになれないのか』(講談社現代新書2025年)を読み終えたばかりなのですが…

ヒトがどうしたら幸せになれるのかというひとつの解答として、家族や身内や仲間とコミュニティを作って助け合って暮らしていくということが書かれていていました。なるほどと思いました。

 

現在、家族や親族、フラットな繋がりとして読書会、子育て期に助け合ってきたサークルピッピの仲間たちや友人たちも私にとってはかけがえがないと実感しています。

 

ドキュメンタリー映画「蒸発」

ドキュメンタリー映画『蒸発』を観てきました。

「日本では毎年約8万人が失踪し

そのうち数千人が完全に消える…」

 

映像や音声にAIを使って作り込んであるのでフィクションとも言えるけど、フィクションに守られた真実というもあるようにも思え、妙に思考を広げられ、不思議に癒されました。

 

蒸発する人、家族に蒸発される人、蒸発を支援する人、蒸発者を探す人、それぞれの立場の人にそれぞれに深い物語があると想像させられました。見る位置によって、問題はまったく違って見えてくるのではないか…

 

もちろん当事者の方々は生きるか死ぬかというくらいの岐路に立たされているのかもしれないし、長く深く思い悩んでいるのかもしれません。

でも、なかなか気づけないかもしれないけど誰にもそういう深刻な側面はあり、だから、観ていて心揺さぶられるのではないかと思いました。

 

深刻な問題を抱えている人ほど自分は問題ないと普通を装うものではないかな。

正常性バイアスという言い方があるけれど、気づかないことで判断を誤らせ、もっとひどい問題を抱えてしまいかねない危険があります。

 

一般的なフィクションのドラマ(物語)では、視聴者と等身大でありつつどこか距離のある人物たちがストレスをかけられて右往左往します。それがお約束なんです。

 

それを安全な位置から観ることで、自分の問題を自然とほぐす効果があるのだと思います。自分が実際に行動するのが大変でも、代わりにドラマの主人公が行動してくれると癒されるかもしれません。

 

でも、自分の問題を隠して漆喰で塗り込めていってしまうと、いき場のない傷口が化膿していくことにもなりかねないのでは…

または、その人の周囲の人々を苦しめていくことになるのかもしれません。

 

最近、ドラマ脚本の勉強しているせいか、ドラマのわかりやすい展開と現実とのギャップが気になりなかなか消化できません。

 

そんな時期、ある程度リアリティに裏打ちされたドキュメンタリーの方が楽しめるということを発見しました。

蜜柑

我が家の裏庭の蜜柑、今までで一番の豊作でした。大きさや形にばらつきはありますが、だいたい温州みかんより2回りか3回り大きいものがなります。

檸檬型のものも1つだけできて、割ってみたら房は2つでした。香りが強くみずみずしくて、食べてみたらかなり美味しかったです。

蜜柑の木は1本ですが、おそらく300個くらいたわわになり、重みで太い幹が曲がってしまった程です。だんだん傾いていくようなので、ハシゴを使い、物置きによじ登って、何回かに分けてバランスをとりつつ収穫してきました。

食べきれないので、子どもたちや友人やご近所の方にも貰っていただきました。

でも、今年の蜜柑は例年に比べて甘く食べやすく、結局は夫と2人、朝晩のデザートに何個も食べる癖がついてあっという間に減っていきました。
(もしかしたら、それで太ってしまっているのかな…😓)

 

しかし、毎年こんなにできたら大変…。

 

還暦過ぎて自分の身体感覚を修整しないといけない時期にもきており、今後、足元がおぼつかなくなる可能性もあるので、高くなりすぎたこのあたりの枝は伐ることにしました。

 

ご近所にはみ出た枝を伐るだけでかなりのボリューム。上部を伐ると、収穫しきれていなかった蜜柑で、大きなカゴが山になりました。

これ(👇️)は収穫した後の、上部の枝です。

蜜柑をとっても重いよね…

 

落ちて割れた蜜柑は中身が空っぽになっており、鳥さんに食べられたのでしょうか?

それともネズミさんですかね?

最上部の蜜柑も、枝にくっついたまま中は空っぽなのでした。こちらは明らかに鳥さんのお腹の中でしょう。

蜜柑を食べるのはヒヨドリだと聞いたのですが、本当にヒヨドリが木の周りを飛んでました。

べらぼう

2月に「大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』を語る」という大人数のセミナーで、脚本家の森下佳子さんと研究者の岡室美奈子先生のお話を聞いてきました。大変勉強になりました。

ただ…実は、私はこのドラマを見ていなかったのです💦

今、NHKオンデマンドで「べらぼう」全48話を観ています。
いや、面白くてもう40話を越えました。

昨夜は、子供の頃に吉原に捨てられた蔦重が、その実母、津与さんに親子が別れたいきさつが明かされました。なるほど…と納得させられました。
このとき母親は蔦重の髪を結い、愛情深いアドバイスも与えてくれます。蔦重はこのとき初めて「おっかさん」と呼ぶのです。このシーン、胸が熱くなりました。

家族であっても、親子であっても、お互いの本当の気持ちというのはなかなか伝わらないものです。性質が似すぎていたり、距離が近すぎることで、客観的に全体像が見えないのでしょう。自分からの視点だけで相手を勝手に解釈して決めつけてしまうことで、大きな誤解をしてしまうのかもしれません。

私にとって、ある程度距離のある祖母は、客観的に見て尊敬すべき人でした。関東大震災の時は両国で、東京大空襲では向島で被災した祖母です。戦後すぐにまだ30代だった病弱な祖父を亡くしました。肺炎をこじらせた祖父のためにペニシリンを求めて駆けずり回ったと聞いています。

その後も洪水などの天災は続きましたが祖母は決してめげず、働きながら1人で4人の子供を育てたのです。「全部で4度被災したんだよ」と笑ってしゃべっていた姿が目に浮かびます。当時子供だった私でも、祖母の話を想像すると大変すぎて気が遠くなりました。

母がまだ施設に入る前、よくその祖母のことを話し合いました。母が何度も何度も祖母の話をするのですよね。そのときに、空襲の話や祖母がどんなときにどんなことを言ったか、年老いてからのことなどの詳細を話してくれました。
それが、私の記憶と重なるところもあれば、ずれているところもありました。これが、不思議なずれ方をするのです。

私は幼い時期の記憶を鮮明に覚えているタチなので「あれ? 私はこんな風に見たし、こう聞いたよ」と母にいちいち言いました。と言うより、母が私に確かめていたのだと思います。母は記憶を修正したかったのでしょう。

そして祖母のことを「本当に偉い人だったねぇ」と言い、祖母に自分は「本当に可愛がられた」と言うようになりました。2~3年前のことですが、私はちょっと感動してしまいました。私から見た母の印象もだいぶ変わりました。

ちょうどその頃、母と私は初めてケンカをしました。そして、仲直りをしました。
母は激することがほぼない人なので、これまで言い争いになることがなかったのですが、父の一周忌を私に内緒で母がしてしまったこと、私が許せなかったのです。
愛していた父が亡くなった悲しみが癒えてなかったのでしょう。
この2月16日、私の中ではXデーと呼んでいます。

母は、迷惑だろうから介護なんかせずに放っておいてと言いました。
全然違うよ、迷惑なんて思ってないし、介護はしたいからしているんだよ、と私は言いました。それで救われているし、勇気をもらっているんだよと。実際、そうなのです。

最終的に、母と私は仲直りをしました。これからよろしくと抱き合いました。もっと歩み寄って、新しい関係を築いていこうと。

 

そんなこと、思い出しました。

ラフカディオ・ハーン「雪女」

ホワイトデーの3月14日、青梅の雪女イベントに参加してきました。

 

ラフカディオ・ハーンの『怪談』には色々なお話が入っていますが「雪女」は怖いだけでなく夫や子どもたちへの深い愛情が感じられるところ、ひっかかります。

お話に登場するのは、木こりをしていた年寄の茂吉と若い巳之吉。雪に降られて渡しにも人がおらず、小屋に避難します。
その渡し小屋で凍えている2人を殺そうとやってきた雪女ですが、巳之吉だけをあっさり助けてしまいます。
その後、現れたお雪が、急速に仲良くなって巳之吉の妻になってしまうところからも、10人も子どもをもうけてしまうところからも雪女の一途な恋心が感じられます。
最後も巳之吉を助けて自分が消えてしまうのですよね。まるでアンデルセンの人魚姫のようです。

当日、観光案内所の方にお話ん伺ったのですが、渡し小屋らしきものが実際にあった場所が特定されているというのには驚きました。
それが見える調布橋の袂には、ハーンのお孫さんの自筆による〈雪おんな縁の地〉という記念碑もありました。

調布橋袂の〈雪おんな縁の地〉碑

渡し小屋があったあたり

昔の渡し

『怪談』の序文には武蔵の国、西多摩郡、調布村(現在は調布橋という橋の名前にしか残っていないかつてあった村)の人に聞いた話だとあるらしく、調布の話から語られた説が有力みたいです。なるほどね。

近くの和菓子屋さんに雪女まんじゅうがあるのも教えてもらいました。ちょっと怪しげな形、味が想像できません。思い切って食べると、白あんにクリームチーズが混ぜ込んであるせいか、確かに雪女の強さと優しさが混ざっているような不思議な風味に背筋がゾクッとしました。