物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

次の読書会は9月23(日)「レイニー河で」

9月の読書会は23日(金)13時半から、秋分の日になります。祝日ですので、平日参加できない方も是非ご参加ください。

お題は、再度ティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』からリクエストのあった「レイニー河で」をとりあげます。

正しい戦争とは思っていなかったベトナム戦争への招集通知を受け取った若者。どうするべきか迷い続ける繊細な心理が描かれています。

苦しい選択です。でも、こういう気持ちに近いものを見なさんも経験したことがあるのではないかな。今の時代、皆さんが心に抱えているもやもやも語り合えると良いかと思います。

場所はいつもの町田市民フォーラム3階多目的室にて。

10時からリフレッシュお茶会(情報交換会)もあります。飲み物はご持参ください。

「半日」読書会

今月の読書会は森鴎外にこんな小説があるのだなぁと意外に思える短編「半日」をとりあげました。家庭内の嫁姑問題をリアルに描いた作品です。

主人公の夫は、同居する母親と妻の間に立ち、どちらを贔屓するわけでもなく2人を気遣い上手にバランスをとりつつ暮らしています。7歳の娘を溺愛している様子もほほえましく描かれています。

でも、語り手の分析が少々妻に批判的なせいでしょうか、読書会では、妻の立場より夫の母親に同情して読んだ人が多かったようです。ただ面白いことに、娘がいる参加者は妻に同情し、息子がいる参加者は母親に同情するという傾向もありました。

同じものを読んでも感じ方が二分することに驚き、嫁姑問題は簡単には解決しないんだなぁと実感。ちょっとした論争はそれなりに発見も多く(#^.^#)それぞれの参加者の生活に引き寄せて読めたので、今回、とても楽しい読書会となりました。

 

私が個人的に読んで気になったのは、この夫の絶妙なバランスとりです。それぞれを立てて、家族に影響力を及ぼす言動はとりません。人間が出来ているのか、自己防衛の壁が厚いのか、本心が見えにくいのです。

現代の女性と比べれば自由に行動できなかったであろう明治の女性たち。妻と母親は相手を攻撃するばかりで、問題を解決する術は持っていません。コントロールできる立場にいるのは夫だけではないかと思うのですけどね。

大事な仕事もキャンセルせざるを得なくなった夫は、謎の余裕をかましています。暴言を放つ妻に暴力もふるわないし、厳しく叱ったりもしません。あくまでも穏やかに、常識的な夫像からはみ出すことはありません。

 

そんなことを考えつつ、読書会の日の夜、よく利用しているU-NEXTで、前から気になっていたレニー・アブラハムソン監督の「ルーム」という映画を見ました。

高校生のときに誘拐され、7年間監禁された女性の話です。

映画が始まって、納屋に監禁されたジョイと、妊娠させられて生まれた5歳になる男の子が脱出するまでの物語なのだろうと予想しました。

実際、狭い部屋に閉じ込められた2人の生活には息が詰まりました。窓のない納屋には天井に明かりとりの小さな天窓しかありません。生活品は、日曜に半ば気まぐれに男が持ってきてくれるものだけです。

そんな辛い生活ではありますが、体力維持のために運動のエクササイズをしたり、料理や工作をしたりとジョイは最大限の知恵を絞って子育てをしています。育児の経験もなかったはずのジョイですが、立派な母親として行動し、男の子も素直にまっとうに育っています。これはすごいなと思いました。

そして、男の子が5歳の誕生日を迎え十分成長したことを感じたジョイは、ついに脱出を計画します。この計画はかなりの危険を伴いますが、男の子は優れた働きをして無事脱出に成功。でも、映画のテーマはそこではなかったのです。

閉じ込められた部屋から出た後、2人がそれぞれどうなるのか?

男の子にとっては最初に見上げた大きな空を見た時の感動、ジョイにとっては7年ぶりに解放された歓喜がありました。でも、広い、広い世界で、それは長続きしなかったのです。むしろ、今まで部屋という囲いに守られていたからこそ、2人は幸せに暮らしていたのではないか?

部屋とは何だったのだろうと考えさせられます。そこを乗り越える大変さ。

この映画、ひとつの誘拐事件を描くことにとどまらず、普遍的な事柄を描いています。それで、つい読書会のこととも比べてしまいました。

 

更に気になり、翌日、同監督の「フランク」という映画も見てみました。

おかしなロックバンドがレコードを作るために皆で合宿をしています。そのリーダーは、つるっとした大頭の被り物の男フランク。カリスマ的魅力があるこのリーダー、何があろうとこの被り物を脱がないのです。まともに食事はできないので流動食ですし、シャワーを浴びる時には大頭をビニールで覆います。

なるほど、この映画では、部屋の代わりに被り物に閉じ込められているのです。

いや、自ら閉じこもっているのですね。閉じこもっているから能力を発揮できるのか、周囲に認められるのか? この被り物の秘密はラストで少し明かされますが、難解です。

森鴎外の作品と単純に比較するには少し無理があるかもしれませんが、小説と映画2本を重ねて考える楽しさはありました(^^♪

「ピッピのくつした」出来上がりました‼️

新しい読書案内「ピッピのくつした」です。
次の例会(10時からのリフレッシュお茶会と13時半からの読書会)で配布致します。場所はいつもの町田市民フォーラム3階多目的室です。図書館にもありますので、声かけてみてください。

読書会の課題本は、今こそ読むべきなのではないかと「夜と霧」です。是非、ご参加くださいm(_ _)m

これは私の手持ちの旧版ですが、新版は読みやすくおすすめです。

あ、これです。

ティム・オブライエン「待ち伏せ」

忙しくしていたら、いつの間にかこんなに時間がたっていた😵私は元気にしていますが、介護関係のトラブル、子どもたちが春から家を出たりということが色々続いていました。
読書会は予定通り進み毎回盛り上がっていますが、報告する余裕もなく、ごめんなさい。

まず次の読書会のお知らせです。
ティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』の中から「待ち伏せ」を選んで皆で話をしたいと思います。5月27日(金)13時半から、いつもの市民フォーラム3階多目的室にて。
よろしくお願いいたしますm(_ _)m

2月『流行感冒』読書会の報告

 2月25日(金)はコロナ禍に読んでおきたい本ということで『流行感冒』をとりあげました。今から100年前のスペイン風邪が流行した時代の家族を描いたごく短い小説。作者の家族に実際に起こった出来事を題材に書いた私小説だと思います。

志賀直哉と言えば、私小説私小説と言うと、かつてあまりよろしくないような言われ方がされたこともありましたが、どうなのでしようね。

(最近、個人的には私小説というのが小説の基本形なのではないかと感じられます。実際に書いてみると、とても難しいですから。ネット情報が溢れる時代だからこそ余計に思うのかもしれませんが、プライベートな体験を自分の見方に溺れず常にクリアな視点できっちり書くには、かなりの精神力と技術が必要なのではないかと。)

第一子を亡くした経験を持つ若い夫婦、特に語り手である父親は幼い娘が感染することを何よりも恐れています。過保護になりすぎているのではないかと周囲の農家の子供たちの育ちを見て不安になったりもします。妻も多少批判しますが、やはり一緒に甘やかしてしまうようです。やはり、この夫婦には第一子を亡くした痛みが大きいのでしょう。スペイン風邪の脅威もかなりのものです。

スペイン風邪は1918年3月に第1波、8月に第2派、翌19年1月第3派があったらしく、死世界人口が18から19億人の時代に5億人が感染し、1億人を越える人が亡くなったのではないかと言われています。コロナと似ていますが、若い人の方がかかりやすく、亡くなった大半は5歳以下だったよう。親としては心配でたまりませんよね。

この家庭では若い女中を2人雇っています。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を先月とりあげたばかりなので、私は階級が気になってしまったのですが、この夫婦は使用人として彼女たちを格下と扱うより、結婚前の若い娘を預かる責任も感じているようです。娘たちにとっては花嫁修業、学びでもあったのでしょう。

そういった娘たちは村に年一回やってくる芝居に行くことも楽しみにしていますが、パンデミックを理由に主人はこれを禁じます。女中が感染して、それが子供にうつることを恐れているのです。ひとりは言いつけに従いますが、もうひとりは嘘をついて出かけてしまうのです。いや、あくまでも出かけていないと言います。

ここで主人が何を思うか、どう考えるか、考えようとするか、どう行動するか、そして何が起こるか、それによって彼の考えがどう変わるかがこの小説の肝です。意外に動きがあるのですが、志賀直哉の文章はさらっと読めてしまいます。

小説の醍醐味は、主人公の意識が変化することで、それを読む人の気持ちも柔軟に変化することだと思いますが、それが受け入れがたいことはよくあります。でも、志賀直哉のように、書き手の自己肯定感が強く何事も真っすぐ書かれていると、読み手はその変化に気が付かないくらいあっさり飲み込んでしまうのですよね。

 

原作に少し肉付けした本木雅弘主演のNHKドラマを観ていた人もいたのでそれとの比較もし、以前『和解』を読んで志賀直哉の小説作法に注目していた人の考察もあり、短い作品ですが思った以上に深読みすることになりました。

 

 また、たまたま仕事で長期ロシアに行かれていた方が参加されたので、ロシアのウクライナ侵攻のニュースについての話にもなりました。場の空気に流されず、それぞれの意見が言える場があることの大切さを痛感しました。

 

★読書会は毎月第4(金)13時半~(部屋が取れない場合は別の日になります)

参加費500円です。

《このあとの読書会の予定》

4月22日…『彼女は頭が悪いから』姫野カオルコ

5月27日…『待ち伏せティム・オブライエン

6月24日…『地下生活者の手記』ドストエフスキー

7月…『夜と霧』ヴィクトール・E・フランクル

★リフレッシュお茶会(お茶持参)午前10時~12時もあります。参加費無料です。

場所はどちらも町田市民フォーラム3階多目的実習室です。

私は、ダニエル・ブレイク

読書会が終わったので『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』のパート2を読んだのですが、階級社会ということが更に受け入れづらくなってやもやしていました。

もしかすると日本は階級意識が希薄なのでしょうかね。差別がいけないという前に、少なくともブレイディさんと同じ世代の私が育った年代なのか環境なのかわかりませんが、その中にはそもそも、あるひとつのことを除いて差別意識というベースがなかったような気がします。

下町の貧しい地域、貧しい(もっと貧しい人がたくさんいましたが)家に育ちましたが、それで差別された経験はありません。逆に言うと、お金持ちの子どもが優遇されるのも見たことがありません。子どもはやたら多く、純粋な能力主義の空気が充満していて、そういう意味ではシビアでした。その時々、その分野で能力のある子がリーダーシップをとっていたかと思います。

ただし、女性差別はあったのです。
これは本当に女性の精神を蝕むレベルで存在していました。そのせいであれほど受験戦争と騒がれた時代に、女性が大学進学することも困難でした。
私も親を怒らせないようにあまり勉強しないよう努力しました。90点以上とれるところを適当に80点くらいになるように調整したりとバカなこともしました。
そういうことをしていると、力を発揮しないようにする癖みたいなものがつくのですよね。精神が歪みます。

私は本を読むことは我慢できず、隠れて本を読むということをしてきましたが、以来、両親に心を開くことは避けてきました。しゃべれば嘘をつくしかありません。できるだけ会わないように、会ったらお天気の話をするくらいです。そのせいで父も早く亡くなったのではと思うほどです。

父の介護が必要になって、また最近は母の介護も必要なのでしばしば実家に行くのですが、それは父と母が少しずつですが考えを改めてくれたからです。
それで母と仲良くランチしていると、これが周囲に羨ましがられるようなのです。驚いたことに、周囲に仲の悪い家族があまりに多いのですよね。話を聞くと、ああ…と傷口に塩をすりこまれる気分。納得できるのです。原因は家庭内の女性差別なのですね。

差別は、される側だけでなく、する側にとっても良いことがないです。それた人は心が歪むしその恨みはどこかに必ず出てきます。ほんとやめてほしい。
そう考えると、階級差別、格差の広がる社会が不幸な世界を招くことは間違いないでしょうね。

そして、昨夜、2016年に制作されたケン・ローチ監督の映画『私は、ダニエル・ブレイク』を見ました。
イングランドニューカッスルに住む年配の腕の良い大工が主人公。心臓病を抱えた彼は医者から仕事を止められますが、複雑な社会制度を攻略できず国の援助をなかなか受けられません。そんな中、同じく援助を受けられない2人の子どもを抱えるシングルマザーと互いを助けあっていきます。
でも、全然救われないのですけどね。善良な人々がホームレスになっていく社会のシステムに驚きました。能力があってもダメということなのですね。

なるほど、これを見て『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の理解が深まりました。

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー読書会

感染拡大している中ですが、換気に気をつけつつ1月28日ブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』読書会を無事開催しました(*´-`)
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エッセイの読書会はあまりやったことがないので、だいぶ違うんだなぁと戸惑いながら、いつもより丁寧に読み解いていきましたよ。ブレイディさんの文章はリズミカルな口語体で気楽に読めてしまいますが、そこにはテクニックがあるのですよね。
内容的には、この状況下に出席された方々は全員子育て経験者で、やはり皆さんここで描かれる子育ての方法が気になったのでしょうかね。
中学生がこんなに良い子であり得るのか?
母親が子どもには干渉しないでいられるのか?
母親だけでなく父親、それから息子がこんなに良い関係でいられるのか?
いやいや、少なくともこのまま不完全変態で成長はしないでしょうし、成長してしまったら問題ですよね、と私は思ってしまいましたが。
それでも、読書会が終わってみて、私が一番引っかかったのは階級社会というものかもしれません。本の中ではどちらかというと人種差別に焦点が絞られていましたが、階級という概念の方がうまく飲み込めません。不思議なのですよね。
良くも悪くも、日本という階級のない社会を私たちは生きているのだという発見がありました。

次の読書会は、2月25日(金)、コロナ流行下で志賀直哉『流行感冒』をとりあげてみます。