物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

アジサイ

先日の読書会で読んだジュンパ・ラヒリの『見知らぬ場所』は、インドからアメリカに移民した一家の、父親と、子育て中の娘の物語でした。

本の扉には『緋文字』からの引用。

 人間というのは一箇所に長続きしないようにできている。いわばジャガイモと同じことで、いつまでも連作していると土地が痩せて、育ちが悪くなるのである。私の子供たちは、生まれた場所が違っている。どんな運命で生きるやら、もし親の意向がかなうなら、どこか見知らぬ土地で根を張ってもらいたい。

   ――ナサニエルホーソン「税関」(『緋文字』の序)

子々孫々同じ土地で生活するのではなく違う土地に移ったほうがいいということですが、移るだけでなく根を張らないといけないということですかねぇ。

読書会では、同じアジア系であるインド人の習慣は私たち日本人と近い? いや、遠い? とい議論にもなりました。父親が家の中で靴を脱ぐ習慣とか、料理は手作りを好むとか、食器洗いで洗剤でこするときには水道を止めておくとか。外で働くことをすすめる父親に対して、子育てに専念しようとする娘とか。この作家のきりっとした顔だちとか。近いのでしょうか、遠いのでしょうか?

私が意外だったのは、急逝した母親が好きだった花がアジサイだということ。「土壌によってピンクにも青にもなる」ということで、違った場所と重ねているのでしょうが、インド人がアジサイを好きなんだなぁと。だって、アジサイって、あまりに地味ですよね。

そんなことを考えながら、夕方、近くの森を歩いていたら、雨上がりに周囲に溶け込むように咲いているアジサイがとてもきれい。

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鮮やかな花よりも、こういう花に惹かれるというのは、日本人的なのでしょうかね。心打たれます。

アジサイ以外にも、地味な草花がたくさん咲いていました。お茶は健康にいいけれど、花はあまり好かれないドクダミも可憐。

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白い花びらの上の小さな小さな蟻んこも可憐です。…すみません、ガラケーなのでうまく撮れませんが。

小さくてまだあまり色がついていないアジサイもありました。今にも動きそう。いや、花を咲かせようと動いていますよね、きっと。たまらない可愛さです。

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特別アジサイが好きなわけじゃないのですが、この生きている感じがたまらないのです。

興奮しているところに、友人からメール。先日のブログを読んで映画『リリーのすべて』を観たらすごく良かった、と。→ リリーのすべて - 物語とワークショップ

それで気づきました。あの映画に感激したひとつの理由は、リリーが花開くように変化していくところが生き生き描かれていて、無理なく納得できたところなんだなぁと。きっと役者がそこを意識して表現しているのでしょうね。う~ん、役者ですね。

そうですね、変化は悪くないですね。それが生きているということだもの。