図書館まつりでワークショップと読書会をします。
まちだ図書館まつりの企画としまして、ピッピのくつしたで演劇ワークショップと読書会をします。どちらも参加費は無料です。当日直接お越しください。
▼3月24日(土) AM10時半から 中央図書館6Fホールにて
小学生以下を対象にした「絵本に入っちゃおう!」演劇ワークショップ
▼3月24日(土)PM13時半から 文学館にて
中学生から大人までを対象にした「山月記」読書会(当日朗読あり)
その準備ということで、昨日の午前中は「絵本の中に入っちゃおう!」をつくるワークショップをしました。参加者の皆さんとつくった内容を3月24日(土)の図書館まつりでやります。
それから、午後は 中島敦「山月記」の読書会でした。この作品は私たちが高校生の時代から、今も高校現代文の教科書に掲載されています。進路を決める時期の若者にとって、今も身につまされる物語なのだろうなぁと想像します。
読書会では、この歳になってもまだ妙なプライドに囚われて、社会や人との間に壁をつくってしまうという感想もありました。
私個人としては50過ぎて読んでみて、だいぶ違った物語として読めました。虎になる現象が、病気や老いと重なりまして。同じ物語でも、年齢とともに違って読めてくるのかもしれませんね。
抒情文芸
急に季節が変ったなぁと思っていたら、『抒情文芸』春号が届きました。
私の短編「玉手箱」を掲載していただいており、変わらず投稿を続けていけることは本当にありがたいことだとしみじみ。このような雑誌があることで支えられているのは私だけではないでしょうし、文学の裾野を広げるための稀有な役割を果たしていると思います。
嬉しいことに、読書会に来てくださっている平野みどりさんの「K」も掲載されており、撰者の出久根達郎さんが絶賛して丁寧に講評してくださっているところも読みどころです。なんか、すごく気になるタイトルですね。これから早速読んでみます。
私はこの1年くらいフットワークが悪く他には投稿できていませんが『抒情文芸』のためにはこれからも休まず書いていこうと思っています。季刊なので年間4作は書くことになりますね。なんだか20枚でまとめる癖がついてきてしまったような。
創作表現講座
先週の土曜日、第一回目の創作表現講座を行いました。
友人にプライベートな文章講座みたいなものをやってほしいと言われ、自分には教えられるような文章の技術はないので、それは無理といったんは断りました。でも、もっと何か言葉にんなる以前の、表現するときのもとになる何かを知りたいということでしたので、引き受けることにしました。
私には二人目の子どもを出産して一年後、うつ病になった経験があります。発病した切っ掛けははっきりあり、その瞬間もはっかりガシャンと自分の精神が壊れた音が聞こえたくらいでした。
症状としては主に食べられない、眠れない、外に出られない、と言う一般的なものでしたが、体感としては重症の怪我を負っている気持ちがしました。起きられないのも当たり前です。ちょっとした刺激が傷にひびくので、太陽の光を浴びるのも、雨に当たるのも、人と世間話をするのもしんどい。テレビはもう全然ダメ、花壇のきれいな花々も、その当時は避けていました。そうそう、夜明けか夕方の森などに癒されましたね。
意外に人と会話することのほうが大丈夫でした。たぶん、私が普段からそのまんまな人間で、あまり自分を飾る言葉を使わないせいだと思います。でも、視覚の刺激は強すぎて、それも普段から視覚にばかり気がいっていたせいでしょう。
十キロ以上痩せましたし、かなりやばいなと思いつつ病院には行きませんでした。自分でぎりぎりコントロールできたので大丈夫そうでしたし、自分を観察していたいような気もして。
一番踏ん張りが必要だったのは回復期です。回復するという自分の強い意志が必要でした。そのきっかけをいくつも見つけて自分を納得させようとしました。そのひとつが、表現活動をするということでした。男女平等センター主催の傷ついた女性のための講座みたいなものを受講しました。当時、女子美の先生をしていた深澤純子さんというかたのアート系のワークショップでした。
それがすごく面白く、自分を見つめるきっかけになりました。その後、深澤さんにはピッピにもきていただき、このワークショップを使わせてほしいとお願いしました。何度かやっているうちに、色々と応用できることにも気づきました。
今回もそれを発端に講座を始めることらしました。
「おらおらでひとりいぐも」
金曜日の谷崎潤一郎「異端者の悲しみ」に続いて、土曜日は「おらおらでひとりいぐも」の読書会をしました。
まったく接点のない作品だと思っていましたが、考えてみたらどちらも自伝的な作品。20代の若者と70代の人が自分の人生をどう感じるかということを体感するのは刺激的でした。
土曜日は変則の読書会だったので場所もいつもと違って狭い和室でしたが、8名の参加者で距離が近いせいか発言が多かったように思います。作品が東北弁で書かれていることもあり、方言、自身のしゃべる言葉について考えるきっかけにもなりました。
また、今回飛び入りの参加者から宮澤賢治の宗教観から読み解く意見があり、終盤は小説を書くことについての話にもなりました。
「おらおらでひとりいぐも」の読書会の様子は、冊子「ピッピのくつした」に掲載する予定です。どうぞ、よろしく。
読書
活動資金を稼ぐためにしている仕事が忙しくなってしまってなかなか時間がとれません。かろうじて読んではいますが、なかなか落ち着いて書けず、本末転倒ですね。少し仕事を減らそうかな…。
昨日、友人に貸してもらった芥川賞を受賞した「おらおらでひとりいぐも」を読み終えました。高齢化社会を生きるために必要な文学……いや、というか内容も文体も、すごい、新しいと思いました。主人公の桃子さんと作者に常に一定の距離があるところに精神力を感じました。
そして、今日は20歳で亡くなったというラディゲの「肉体の悪魔」を読み終えました。15歳の僕と19歳の人妻の恋の物語です。この2冊、同時に読んでいたんです。
ラディゲの文章も、曖昧な感情に流されずに硬く冷たいと言われていますが、内容は真逆と言っていいほど違っていて、でも、違っているからこそ近い部分もあり、どちらも死についての考察があるんです。
老いもしんどいけれども、やっぱり若さもしんどいのでしょうね。まあ、実際そうですね。
その前は、やはり友人に借りた田口ランディ「逆さに吊るされた男」と井上光晴の文学伝習所を記録した「『超』小説作法」を読みました。これもはっとする組み合わせでしたが、疲れてしまったので今夜はこのへんで。
おやすみなさい。