物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

抒情文芸『ハピネス』と福田村事件

抒情文芸(2023年秋 第188号)に小説が掲載されました。『ハピネス』という義父をモデルにした短編。今回は特選です😃

選者の出久根達郎先生に褒められていてめっちゃ嬉しかったです。

「近頃珍しい陽気な一家の物語で、読んでいると元気が出てくる。老人介護の話だが、陰々滅々たる部分は、ほんの少しもなく、ただ明るい。タイトル通りである」と。

…え、本当に😅

主人公の主婦が仕事を失いそうになったり、高校生の息子が留年しそうだったり、介護を引き受けたりする話なんですけどね。

「これは登場人物全員が、明るいせいである。作者が善人だからだろう。息子が学校の三者面談に呼ばれた日に、よりによってメロンを買って夕食に出す主婦である。本人もなぜメロンを用意したのかわからない。こういう設定を何気なく作った作者は偉い。これが創作の技術である。」

確かに…悪いことがあったのにメロンを食べているんですよね、この一家は。
実際に作者は何気なくメロンを出しましたが、それが創作の技術とは意識していませんでした😅

でも、気持ちは明るく持たないと、ですね。今の時代は、それが大事と思います。気持ちが暗いのは変なコンプレックスや被害者意識に蝕まれているからだし、それだから他人を批判するのですよね。

そうそう、最近なかなか雑誌に掲載されなくなっていたのですが、それは、私が育った家族の問題に囚われすぎていたからかもしれないなぁと思い当たりました。この問題は暗すぎるのです。

問題が生々しすぎるし、解決していないし…いや、解決を拒否されているし。問題を見たくない人に無理に見てもらうことはできないわけで。自分は変われても、他人を変えることはできないですからね。

問題を考えすぎてしまうのは、苦手は克服しなければいけないと学校で学んだせいですかね?
そりゃ、問題はしっかり見つめたほうが良いと思うんけど。

でも、解決できる可能性があることには尽力するべきでも、解決不可能なものからは距離を取るべき…?
今はそう思ってます。

この間、森達也監督の映画『福田村事件』を観ても、距離を取るのは大事と骨身に染みました。
これ、100年前の関東大震災の少し後に本当にあった事件を題材にした映画です。

当時、朝鮮人が暴動を起こすという流言飛語により逆に暴徒化した自警団があちこちで傷害事件を起こしたようです。そんな事実はないと言ってる人もいるけど、それが書かれた新聞は残ってます。
こういった動きは官民絡んで盛り上がってしまったのでしょう。

千葉福田村では、四国から来た行商の人々の方言を聞き咎め9人をなぶり殺しにしてしまいました。外国訛と方言の違いくらいわかったはず。でも、集団心理によりストップが利かなくなったのでしょう。
映画では、生き残った12、3歳の少年が「なんで…?」と絶句するのが印象的でした。意味不明だし、なんでなんだろうと思いますよね。

こんなに凄惨な事件ではありませんが、私にも集団心理に突き動かされた人々にいわれのない攻撃を受け「何で…?」と思った経験があります。
育った家庭の問題もそれです。

偉くもなんでもない人が、なんでそこまで尊大になれるのか?
わからないし、わかりたくもない。そういうものに加担しないためには、どうしたら良いのだろうと考えます。