物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

「半日」読書会

今月の読書会は森鴎外にこんな小説があるのだなぁと意外に思える短編「半日」をとりあげました。家庭内の嫁姑問題をリアルに描いた作品です。

主人公の夫は、同居する母親と妻の間に立ち、どちらを贔屓するわけでもなく2人を気遣い上手にバランスをとりつつ暮らしています。7歳の娘を溺愛している様子もほほえましく描かれています。

でも、語り手の分析が少々妻に批判的なせいでしょうか、読書会では、妻の立場より夫の母親に同情して読んだ人が多かったようです。ただ面白いことに、娘がいる参加者は妻に同情し、息子がいる参加者は母親に同情するという傾向もありました。

同じものを読んでも感じ方が二分することに驚き、嫁姑問題は簡単には解決しないんだなぁと実感。ちょっとした論争はそれなりに発見も多く(#^.^#)それぞれの参加者の生活に引き寄せて読めたので、今回、とても楽しい読書会となりました。

 

私が個人的に読んで気になったのは、この夫の絶妙なバランスとりです。それぞれを立てて、家族に影響力を及ぼす言動はとりません。人間が出来ているのか、自己防衛の壁が厚いのか、本心が見えにくいのです。

現代の女性と比べれば自由に行動できなかったであろう明治の女性たち。妻と母親は相手を攻撃するばかりで、問題を解決する術は持っていません。コントロールできる立場にいるのは夫だけではないかと思うのですけどね。

大事な仕事もキャンセルせざるを得なくなった夫は、謎の余裕をかましています。暴言を放つ妻に暴力もふるわないし、厳しく叱ったりもしません。あくまでも穏やかに、常識的な夫像からはみ出すことはありません。

 

そんなことを考えつつ、読書会の日の夜、よく利用しているU-NEXTで、前から気になっていたレニー・アブラハムソン監督の「ルーム」という映画を見ました。

高校生のときに誘拐され、7年間監禁された女性の話です。

映画が始まって、納屋に監禁されたジョイと、妊娠させられて生まれた5歳になる男の子が脱出するまでの物語なのだろうと予想しました。

実際、狭い部屋に閉じ込められた2人の生活には息が詰まりました。窓のない納屋には天井に明かりとりの小さな天窓しかありません。生活品は、日曜に半ば気まぐれに男が持ってきてくれるものだけです。

そんな辛い生活ではありますが、体力維持のために運動のエクササイズをしたり、料理や工作をしたりとジョイは最大限の知恵を絞って子育てをしています。育児の経験もなかったはずのジョイですが、立派な母親として行動し、男の子も素直にまっとうに育っています。これはすごいなと思いました。

そして、男の子が5歳の誕生日を迎え十分成長したことを感じたジョイは、ついに脱出を計画します。この計画はかなりの危険を伴いますが、男の子は優れた働きをして無事脱出に成功。でも、映画のテーマはそこではなかったのです。

閉じ込められた部屋から出た後、2人がそれぞれどうなるのか?

男の子にとっては最初に見上げた大きな空を見た時の感動、ジョイにとっては7年ぶりに解放された歓喜がありました。でも、広い、広い世界で、それは長続きしなかったのです。むしろ、今まで部屋という囲いに守られていたからこそ、2人は幸せに暮らしていたのではないか?

部屋とは何だったのだろうと考えさせられます。そこを乗り越える大変さ。

この映画、ひとつの誘拐事件を描くことにとどまらず、普遍的な事柄を描いています。それで、つい読書会のこととも比べてしまいました。

 

更に気になり、翌日、同監督の「フランク」という映画も見てみました。

おかしなロックバンドがレコードを作るために皆で合宿をしています。そのリーダーは、つるっとした大頭の被り物の男フランク。カリスマ的魅力があるこのリーダー、何があろうとこの被り物を脱がないのです。まともに食事はできないので流動食ですし、シャワーを浴びる時には大頭をビニールで覆います。

なるほど、この映画では、部屋の代わりに被り物に閉じ込められているのです。

いや、自ら閉じこもっているのですね。閉じこもっているから能力を発揮できるのか、周囲に認められるのか? この被り物の秘密はラストで少し明かされますが、難解です。

森鴎外の作品と単純に比較するには少し無理があるかもしれませんが、小説と映画2本を重ねて考える楽しさはありました(^^♪