物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

Y字路のつづき

 先日のY字路のの話のつづき。
 
 アーヘンさんにもコメントをいただき、他のかたにもメールをいただきました。
 Y字路が内側に入りこむ入口だとして。
「沖縄では、Y地路に石敢當(いしがんとう)と彫られた石が置かれています。魔物(まじむん)は真っ直ぐにしか進めないので、そこに石があれば、ぶつかったまじむんは砕けとんでしまうのです。」
 へえ、なるほど~、と思いました。
 
 だとすると、Y字路というそのどこか異界に入り込む入り口をそのままストレートに描くのが絵画なのかな。または、絵画は石敢當を前もって置くという行為なのかもしれないなと思ったんです。
 何か(入口が)ここにある、と直観で察知するから、絵を描いてしまうんですものね。――本当は直観ではなくて、言葉とは違うルートで思考した結果だと私は思っていますけどね。
 
 あれから、横尾忠則さんのY字路シリーズの画集を二冊ほど見ました。同じ場所をこれでもかというほど繰り返し色々なパターンで描いていることに驚きました。勤勉なかたなのだなぁと。そうじゃないと、正確に表現できないのでしょうね。
 
 一方、小説を読んだり書いたりすることが絵を描くことと反転し行為だとすると、それは、魔物になってみることかもしれません。魔物に憑依する(笑。
 魔物を自動的に削除しようとするのではなく、魔物の気持ちになって魔物の心理を辛抱強く観察して、行動を予測することです。それによって色々なことが見えてくるし、策を練ることもできるということではないでしょうか。
 
 現代、文学を骨抜きにしようとする力は大きいように思います。そこには、文学がイデオロギー的で主義主張があるという誤解からきていると思いますが、それは読解が出来ていないから思うことであって、本来はどこまでも中立なものだと思うんですよね。 
 このままその重要な役割を無視して趣味や娯楽としか位置づけしないままだと、取り返しのつかないことになってしまいそうで気がかりです。
 美術も文学も人類の未来を考えるには、必要なものだと思うのですよ。
 
そんなことを考えていたカフェは妙に落ち着いていて…。これもY字路?

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Y字路 反転

 先日の横尾忠則展ですが、脳内のどこかを刺激されてしまったらしくどうにも落ち着かないので、翌日、ひとりでもう一度行ってみたのです。

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 初日に行ったときに気になったのはこのあたりの一連の作品です。先日のエリック・カールの読書会で美術系に切り替わるスイッチが入っていたせいか、ものすごく心地よいんです。私は普段からいくつものイメージを同時に重ねる癖があるので、安心するというかリラックスするのですよね。
 そうそう、先日写真に撮った作品群が私には印象深かったところのはずなんですが…もう一度見て、刺激されているところとは一致しないということがわかりました。うーん、なんだろう。
 この日、展覧会についての多摩美の先生のお話しがあるということだったので、この講演会にも顔を出してみたんです。なんと、横尾忠則さんも一緒に聞かれていました。話しにくいでしょうね(笑。
 この講義はオリジナルと模倣というような本質的な話でしたが、先日来私は美術系に頭が切り替わってしまっているので、スクリーンに映される「性風景」とか「責場」とかいう作品に見入ってしまうと言葉が頭に入ってきません。
 最後は1941年(横尾忠則さん5歳)の模写作品「武蔵と小次郎」が映し出され、その大人びたタッチに目が釘づけになり、結論を聞き逃しました。横尾さんは読書と模写を似た種類の行為としてエッセイに書かれていましたが、まさにそうだと思いました。
 
 結局、何がひっかかっているのかよくわからないまま、カタログやポストカードが売られているカウンターであれこれ眺めているうちに、ふと「東京Y字路」という写真集を手にとりました。そうそう、Y字路の作品はいくつか展示されてありましたっけ。横尾さんのY字路の油絵は、だいぶ前にどこかの展覧会でも見たことがあります。
 
 あ、そうか。それであっさり謎が解けました。Y字路に刺激されたのです。
 
 実は、今週の土曜日にあるブックカフェで、初めて私の作品の読書会をすることになっているんです。どの作品をとり上げようかと相談されて、選んだ作品がありました。
 読み返してみると、分岐点の作品だと思いました。その小編を自分の中でとらえている印象は、なぜか二十歳の頃に描いたアクリル画と重なりました。たぶん、そのアクリル画が私にとって分岐点にあたるY字路の絵のだったからでしょう。今はないその絵のことを、このところ思い出していたのです。
 今はない絵なので説明しづらいのですけどね…。描いたのは、神保町を歩いている夢を見たことがきっかけでした。突然景色が反転し、世界がひっくり返ってY字路の方向に落ちそうになり、必死で道路にしがみついているのです。なんだか異界に足を踏み入れたような奇妙な感触でした。
 その絵は、夢の景色を簡単に描いたスケッチに近いもの。不思議な絵だとみんなにびっくりされました。学生時代のグループ展の看板に使われもしたのです。ただ、当時の私にとってはそういう反転が日常だったので、最初は普通の風景画としかとらえられませんでした。だから、欲しいと言った誰かにあげてしまいました。
 ところが、その感覚が次第に薄れていってみると、自分でもその不思議さを意識しました。それをきちんとした作品にして残しておこうという意識も働き、色々な画法で描いてみたのです。でも、うまく描けない。その感覚を忘れちゃっているのでしょうね。なんとかその雰囲気が残っている絵を何枚か描きましたが、やっぱり誰かが欲しいと言って持って行ってしまいました。結局、一枚も残りませんでした。
 その後も、何度か試みましたが、もう全然描けない。そのときの焦りというのが今も強く残っているのです。
 
 もしかしたら、このタイプの小説も、書けなくなってしまうのではないかと…。うーん、まずい、まずい…。
 
 そんなこと考えながら美術館をあとにして、家に帰って来て、玄関に飾ってある自分の絵を素通りしました。それは20代の前半に描いた窓のある風景です。上手く描けてはいないのですが、なんとなく分岐点にある絵のような気がして、そこにずっと置いてあるものです。
 当たり前の風景として絵を見もせず、通り抜けながらこう思いました。そうだ、学生のときにY字路の絵を描いたけれど、卒業してからはこういう窓の向こうに景色が広がる絵を描くようになったんだよなぁと(その後、間もなく絵が描けなくなっていくのですが…)。
 で、戻って自分の絵を見ました。あれ、もしかしたら、これはY字路?

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 よく見たら、Y字路の分岐点にある家の窓から、Y字路に分かれる前の一本道を振り返って見ている絵なんじゃないでしょうか。どっきりしました。
 絵を描くときには言葉を意識しないでやっているんで、こういうことが自覚できていないのですよね。
 
 違うかもしれませんが、小説を書くことが憑依することだとしたら、絵を描くことの反転が小説を書く行為なのかもしれない…と思いました。

横尾忠則HANGA JUNGLE

今日は息子と国際版画美術館で今日から開催の「横尾忠則 HANGA JUNGLE」展に行ってきました。

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目にしたことがある作品が意外に多いものだなぁと思いつつも、構図と色使いの面白さにすっかり魅せられてしまいました。思っていたより素直でストレートな表現が多く、見ていて気持ち良く、ハッピーになれました。

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怪しげなものがたくさん盛り込まれてはいるのですが、健康的でまっとうな色使いにむしろ癒されました。

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やはり美術というのは人を元気にするものですねぇ。

読書会、総会&懇親会、ありがとうございました。

昨日は2つの読書会を挟んで、総会&懇親会(豚肉白菜鍋)でした。重いお鍋と具材を運んで用意してくださった方々、ありがとうございました。…それにしても、大きな2つの鍋があっという間に空!!

参加者40代、50代、睡眠時間が少なく、体力消耗している主婦が多いそうですので、栄養補給が必要なのでしょう。疲労で体調を崩されているかたも多いようですので、気をつけてくださいね。

そんな時間の前後にややボリュームを落として開催した2つの読書会でしたが、どうしてどうして、両方とも発見多い時間となりました。

午前中はエリック・カールの絵本の読書会。

そうそう、ちょうど今日から世田谷美術館エリック・カール展が開催されています。初日の今日はサイン会もあるそうですよ。

まず「パパ、お月さまとって!」の絵本の朗読から始まり、読書会参加者のみなさん、様々な絵本を持ち寄ってくださったので、ページをめくって比べてみました。印象としては、やはりアート寄りの絵本なのだなぁと実感。表現のアプローチアートが言葉によるものと視覚美術によるものの違いが見えてきました。

まだ小さいお子さんにも理解しやすいのは、そういうわけなのですね。でも、言葉によらない情報がたっぷり入っているのですよね。「はらぺこあおむし」は私たちのワークショップでも使いますが、そのあたりが演劇ともマッチするのでしょうね。

午後の読書会は芥川龍之介羅生門」です。高校1年生の教科書にも載っている作品。みなさん何度も読んでいる作品だと思いますが、あらためて読んでみて、大人になる瞬間を、かなり強烈な情景とともに鮮やかに切りとった作品だということがわかりました。

実は、息子が高校に入学した時期に「羅生門」を音読しているのを耳にして、あっと驚いた経験があるのです。良く知っている作品でしたが、深く読まないでストーリーをなぞるだけではまったく意味がないんだなと実感しました。リンゴの写真だけ見たことがあっても、食べてみなければ何もわかりません(栄養にはなりません)よね。

これはいつか読書会をしなければ、と思っていたので、今回取り上げることができて良かった。大人へ向かう第一歩を踏み出す高校生の教科書に載っているという意味もよくわかりました。

読書会あれこれ

深夜になって、だいぶ強い雨が降っています。季節の変化は激しいですね。

 

▶文学館の展覧会関連イベントとして、3回連続の流動的読書会を開催します。どなたでも無料で参加できます。朗読の後に読書会をしますので、作品は読んでこなくて大丈夫です。当日、直接ぶらりとお越しください。

《《 流動的読書会 》》

文学館ことばらんど2階展示室 18:00~19:30

4月28日(金)安部公房「魔法のチョーク」

5月26日(金)ミランダ・ジュライ「水泳チーム」

6月16日(金)梶井基次郎檸檬

 

▶ピッピのくつしたの読書会の予定もお知らせしておきます。こらは会費(何回参加しても年間千円)です。楽しくやっていますので、気楽に参加してください。

《《 子どもの本の読書会 》》

町田市民フォーラム3階 多目的実習室 10:00~12:00

4月21日金)エリック・カールの絵本(この日は総会のため11:00まで)

5月26日(金)絵本「きみの行く道」ドクター・スース

 

《《 ささやかだけれど役にたつ読書会 》》

町田市民フォーラム3階 多目的実習室 13:30~15:30

4月21日金) 芥川龍之介羅生門

5月26日(金) 村田沙耶香コンビニ人間

6月23日(金) 高橋源一郎「文章教室1」(『動物記』より)

 

▶総会&懇親会のお知らせ

今年度のピッピのくつした総会&懇親会を4月21日(金)11:00から行います。

白菜と豚肉のお鍋を用意いたします。食べるための器と箸はご持参ください。

(おにぎりなど主食を持参すると良いと思います。)

Novel 11,Book 18

今日はついに恩田川に花見に行ってきました。うわさには聞いていましたが、みごとです。

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本当に、満開ですね。

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なんと、カラスも花見をしていました。

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川沿いに歩いて、道端のベンチで休憩しながら優雅に読書もしました。

先日、村上春樹訳『結婚式のメンバー』を面白く読んだことに気をよくして、もうひとつ春樹訳の本、ノルウェー作家ダーグ・ソールスターの『Novel 11,Book 18 ノベル・イレブン、ブック・エイティーン』(中央公論新社 2015)を読みました。

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主人公は50歳になったばかりの男性。物語はかなり普通な感じに始まるのですが、その普通な感じでは考え難いアクロバティックな展開があり、かと言って物語の空気を乱してもいない。こんなのアリか?と、その展開になかなかついて行けないうちに、それが伏線になっていて、次の宙返りに。ラストには度肝を抜かれました。

訳者あとがきには「とにかく不思議な小説」と書いてありました。不思議というかなんというか…そんなに悠長に感想は私には言えませんが、それは私が同じ年頃で同じような問題意識を持っているからなのかもしれません。

ノルウェー表現の自由があることを感じました。

花冷え

桜がこんな時期まで見られてうれしいですが、冷えますねぇ。

とはいえ、今年はゆっくりお花見をしていません。時間があるのは暗くなってからだったり、雨が降っていたり。そうだとしても、見上げると、桜というのは不思議なものだなぁと感じられます。

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桜を見て私がいつも思ってしまうのはジョン・クロウリーの「エンジン・サマー」という小説。そこに出てくる〈パン〉という宇宙から持ち込まれたらしい植物です。ある時期にピンクの泡ができるのです。軽い幻覚作用があり、未来の人々がそれを乾燥させてパイプにつめて吸うのです。

桜も見上げていると、ハイになってくるような。