物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

クッツェー「モラルの話」読書会

連作短編集『モラルの話』(J・M・クッツェー/くぼたのぞみ訳/人文書院/2018)の真ん中あたりに入っている「老女と猫たち」をテーマに読書会をしました。この本は英語で書かれたにもかかわらず、スペイン語版、次いで日本語版、フランス語版が出版されました。これは著者が英語が世界に及ぼす覇権に抵抗する姿勢を表したもの。

J・M・クッツェーの小説に私が触れたのは、2013年の東京国際文芸フェスで自作を朗読すると聞き、予習のために読んだのが最初です。ダイナミックかつ緻密な構成に驚き、すっかり夢中になって次々読んでしまいました。

でも、クッツェーの小説を読むといつも何かがひっかかってそれが解消されないまま残るのですよね。たぶん私が日本人的な感覚を持っているからなんでしょう。「老女と猫たち」も、この短編集の中で特にひっかかった作品でした。

小説の始まりの部分、老女が息子に語る「猫には面はあるけど顔はない」という言葉。「本来の顔のある生きものは人間だけ。われわれの顔が人間であることを証明しているの」「動物に性格がないのは動物に顔がないのとおなじことよ」

「われわれにだって、あなたやわたしのことだけど、生まれたときから顔があるわけじゃない。なだめすかしてやっと顔があらわれる」

人間とそれ以外の生き物の間にラインをひくことは、日本人の感覚にはないことかもしれません。その違いに愕然としつつ、もしかしたら、猫だけでなく、自分も猫側にカテゴライズされているのではないかという恐れを感じてしまいます。

いや、もちろん、話の肝はここではなく、もっと先にあるのですけどね。

読書会にはサラリーマン、女子学生の参加もあり、多角的に読めて良かったと思います。 

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今日はなぜかこんな場所にいます。おやすみなさい。