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物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

ペンギンの憂鬱

本の紹介

あれやこれやと日々面倒なことがあって憂鬱な気分です…。

おまけに、そろそろうちの中学生の志望校も決めないといけなくて、来週は学校の個人面談があります。やれやれ。

うちの子どもがADHDディスレクシアという特殊な事情を抱えているせいもありますが、内申をつける方法や効率私立の受験事情など、どこに正当性があるのかと考えれば考えるほどモヤモヤとします。どうもすっきりしない。

大昔ですが、私が中学生の頃にはすでに「受験戦争」という言葉が流行っていた時代でした。当時と比べて今、競争が激しいとは思えないのですが、それはひとつに偏差値だけですっぱり判断できなくなっている感じが濃厚だからでしょうか。

頭の良さの基準というのは、時代によって変わるものなのかもしれませんね。

うちの子どもは特にわかりにくく、その特性が中学でまったく理解されていないことがわかって、それを説明しにいったことがありました。夏休みのあたりでしたか。

それを誤解されて「親の期待が子どもにプレッシャーをかけているのでは?」と言われてガーンとショックを受けました。(実際は、学校で自分の能力を理解されていないのが子どもにはストレスだったのだと思いますが、そういうことよりも)「親が子どもに期待する」という発想が現代は希薄だということに気づかされたからです。

昔、「受験戦争」と言われたのは、それだけ親が子どもに期待する気持ちが強かったのかもしれませんね。ということは、未来に希望があったのでしょうかね。(ただ、私はあまり期待されていませんでしたが…。)

かつての親と自分の関係を考えると、親になった私たち夫婦と子ども達のほうが親密な関係のような気がしますが、お互いに依存したい気持ちは希薄かもしれません…。どちらかと言ったら、できるだけ楽しい時間を一緒に過ごしたいなぁと思っているような。

先のことより、今が大事なのかもしれませんね。

そうそう、先日、ウクライナの作家アンドレイ・クルコフ『ペンギンの憂鬱』を読みました。先がないという意味では、今の日本をはるかに越えている世界です。

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売れない作家ヴィクトルは、動物園が餌をやることができなくなった皇帝ペンギンのミーシャを譲り受けます。それから、知人から預かった小さな娘と、そのベビーシッターと、まるで疑似家族のような生活を始めます。

村上春樹の小説の主人公にも似ているヴィクトル。でも、色々なところが微妙に違う世界をドキドキしながら読みました。