物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

全身小説家・井上光晴展

夫婦で出かけることが少なくなっていますが、良いお天気だったので横浜で詩の会合があるという夫に誘われて、港の見える丘公園をぶらぶら。神奈川近代文学館へ行ってきました。

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全身小説家井上光晴展」です。

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全身小説家>って埴谷雄高氏が最初に言った言葉だそうですね。小説を書くときだけが小説家(嘘つき)なのではなくて常に全身が小説家(嘘つき)だということです。

嘘って、世間ではどうもマイナス面ばかり強調されすぎているというか、あまりに狭い意味でとらえられているような気がしますが、そういうことではないと思うんです。と言っても、良い嘘もあるとかいう意味でもありませんけどね。

大人として、謙虚に、一生懸命生きるってことだと思うんですけどね、私は。

井上光晴の晩年のドキュメンタリーを撮った映画監督原一男氏の映画「全身小説家」は有名ですが、ずっと気になりつつ、まだ見ていないんです。

「えっ、見てないのかよ。見てみなよ」と夫。

よい機会だから、見てみようかなぁ。

小山田南小「ぽぽんた」

昨日は小山田南小学校の放課後事業「ぽぽんた」に呼んでいただきました。今年で3回目になりますね。インフルエンザで学級閉鎖も出ている中、子どもたちが30人余集まってくれました。

楽しい時間を、どうもありがとうございました。<(_ _)>

周囲に自然が多く環境が良いせいなのか、こちらの小学校の子どもたちがのびのびしていることにいつも心を動かされます。今回も、興味を持つところではとことん興味を持ち、走り回るときは思い切り走り回り、発散するところでは思い切り発散する様子を見ていて、これが人間本来の姿だなぁと痛感。

そんなパワーを期待して、今回も「絵本の中に入っちゃおう」ピッピのくつした演劇WSの新バージョンをやらせていただきました。新しいプログラムを、いつも小山田南小学校で最初にやっているのも、そのパワーに勇気づけられているのだと気がつきました。

今回のテーマは「食べ物」ということにしてみたのですよ。実は、私はとても食いしん坊でして…。

ウォーミングアップのジェスチャーゲームも食べ物づくし。「町のねずみといなかのねずみ」の空腹感から「はらぺこあおむし」の満腹感まで堪能していただきました。

私自身、ナシやオレンジもおいしいけれど、チェリーパイやサラミを味わうことも面白かったし、大きな葉っぱがお腹の調子を整えてくれることも実感しました。

感動したのは、はらぺこあおむしの小さな卵が出てきたところで、子どもたちが本当に小さな小さな卵になりきってしまうところ。すごい集中力なんです。そこからあおむしが生まれたときのうれしそうな様子。さなぎになるときも、一生懸命さが伝わってきて、子どもたちの成長するパワーってすごいんだなぁと思いました。

ワークショップをコーディネイトしてくださったPTAの皆さん、車の送り迎えから、差し入れのお菓子まで、本当にありがとうございました。

地面

不定期の仕事があれやこれや入るのと、家族のケア労働が意外なほど多く、なかなかブログを更新できていません。すみません。

そんな中、先日の正午、代々木公園にでかけてお弁当を食べました。日差しもあたたか、地面はちょっと冷たいけれど、生きていることを実感。寝そべってみたりして…ひゃあ、気持ちいい…

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面白いのは、目線が低くなると、景色が違って見えることです。これって小さい幼児の目線でしょうか。でも、小さい子はいません。

いや、犬の目線かな。あちこちで、ワンちゃんたちがはしゃいでいます。これだけ広いと私だって走りたくなります。心臓に負担がかかるので、走りませんけど。

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そう思って見ていると、ここはワンちゃんと飼い主ばかりです。この高さだと人間とは目が合わず、ワンちゃんと目線が合うんです。地面を走るワンちゃんたち、なんか、すごく幸せそう。

「やあ、やあ」

「……」

でも、ワンちゃんたちはすぐに飼い主に視線を戻してしまいます。それがもうとっても熱い視線なんです。飼い主さんが本当に大好きなんだなぁと思いました。…そうか、だから、幸せなんですね。

七福神

2月ですが、日差しは暖かですね~。

我が家では3人分のお弁当をつくらなければならないので、3人も4人も同じ、と一緒に自分の分も作ってしまいます。午前中、喫茶店で書きものをしたあとは、よく外でお弁当を食べます。気持ちいいし、カルシウムも吸収できそう。

今日は、店の中よりも外のほうが暖かなくらいでした。残り物のおかずを詰めただけのご飯ばかり多いお弁当が、なぜかとてもおいしく感じられます。満腹、満腹。でも、デザートだったらまだ食べられるなぁと思っていたら、こんな方々が通っていきました。

七福神じゃないですか。数えてみて、やっぱり7人でした。でも名前が全部わかりません。ええと……調べました。

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恵比寿天(えびすてん)、大黒天(だいこくてん)、毘沙門天(びしゃもんてん)、弁財天(べんざいてん)、布袋尊(ほていそん)、寿老人(じゅろうじん)、福禄寿(ふくろくじゅ)ですね。

何かご利益があると嬉しいなぁと思っていたら、この直後、向かいのスターバックスからケーキをいただきました。ナイスタイミング。

隣に座ったおじいさんと顔を見合わせ、つい「えへへ」と笑い合ってしまいました。「なんか、面白い」「ですねぇ」

SOGI

我が家では家族それぞれがマイペースで自分の活動を優先してしまうので、一緒に夕飯を食べることがほとんどありません。でも、今夜、久しぶりに遅い夕飯を食べながら、NHKラジオで「男と女を超えて~性の多様性を考える~」という番組のたぶん4回目の放送を聞きました。

夕食しながら聞く内容ではないかなと思ったのですが、予想外に家族みんな面白がってで聞き入ってしまいました。そうかぁ、やっぱり性についてというのは気になる問題だよね、とあらためて思いました。

私は自分自身についてはとことん考える質なので、性自任・性的指向について関心があるのですが、自分の性について真面目に考えると迷宮に入っていってしまいます。自分にとっては当たり前のごく健康的な感覚も、考え始めると普通ではないような気がしてきてきます。

一般的な男性性と女性性という分類に自分はそんなにばっちり一致していないような気がしますが、LGBTにも一致していません。そんなふうに割り切れないのですよね。

一般社会の性的マイノリティへの差別には自分のことのように傷つきますが、LGBTのかたと性について話すことも傷つけてしまいそうで難しいと感じてきました。

でも、ラジオによると、LGBTの代わりにSOGIという言葉が国連でも使われ始めているらしいのです。GIはジェンダーアイデンティティー(性自認)の略、SOはセクシュアルオリエンテーション性的指向)の略なのだそうです。へえ、そうなのね、それならわかるかも…と。

昨日、ピッピのメンバーで映画「リリーのすべて」の話でモヤモヤしていたことの正体がなんとなく少し見えてきました。たぶん、性自任・性的指向について、自分たちはマジョリティとして、マイノリティのリリーについて語ることに心苦しさを感じていたんです。

つまり、LGBTという概念を使うと、非LGBTの人たちが自分たちの外側の問題としてしか考えられなくなってしまうんですね。そういうふうには、考えたくないです。

男女平等

昨日は少し前に観てここにもとりあげた映画「リリーのすべて」について、メンバーで語り合いました。映画は、結婚6年目の仲睦まじいカップルであるまま、体は男性だけれども性的自任が女性だということに気づいていく夫と、それを助ける妻を描いた作品です。

自分の性自任や性指向が確立するのはだいぶ遅いことが多いですし、たぶん現代は性的成熟が遅そうなので、自覚は更に遅くなるのだろうなぁと想像します。大変だと思うけれど、周囲が心無い差別をしなければそれほど苦しむことはないと思います。問題は、周囲の無理解ですよね。

私たちのグループ「ピッピのくつした」は18年ほど前、もともと男女平等政策の役割も担って発足したためか、性的マイノリティの話題をとりあげることは多かったように思います。だから、知識として知っている方が多いのですが、今回、久しぶりに性的マイノリティの話をしてみて、私たちからあまりに遠く、つかみかねる話題なんだなぁと実感しました。

40代半ばから50代というと、これから性自任や性指向が変わることも考えにくいですしね。…性的にそろそろリタイヤする年齢ということもあるのかなぁ(涙。

私自身は、5年ほど前に小説を書き始めて、自分は小説を書く人のタイプの性自任・性指向なのだと気づきました。今まで微妙に普通とズレている、変に熱く、変にクール、だと思っていたのが、ただの憑依体質なのだと理解してすっきりしました。

一時期、男女平等が行き過ぎているというバッシングもありましたが…

(どっちも行き過ぎに問題があるように私は思います。その主張が相手への攻撃ではなく、よりよい未来を目指していることが大事なのではないかと思います。)

でも、時代は平等にしないと現実生活が成り立たなくなっていく気配ですね。年代による意識の差も大きいように思います。そういう意識の違いによるギャップを埋めるための男女平等政策が必要なのかなぁと思いました。

はっぴぃさん ロミオとジュリエット

今日の午前中の読書会は、絵本「はっぴぃさん」(荒井良二さく)についてみんなで語りました。何度かとりあげている本ですが、新年ということもあるのか、新たな気持ちでしみじみ味わうことができました。

はっぴぃさんというのは正体不明。カタツムリなのか、ウサギなのか、リスなのか、ハトなのか? まあ、そのどれてもないのでしょうね。山の上の大きな石の上にときどきあらわれて、なんでも願い事をかなえてくれるらしいのです。

絵本には二人の子どもが出てきます。のろのろの男の子は、のろのろじゃなくなるように、あわてんぼうの女の子は、あわてなくなるようにお願いしにはっぴいさんに会いに行くのです。

その、自分の良くないところを反省して変えようという気持ち、そういう気持ちにはなかなかなれない世の中で、その前向きな祈りをもって山に登っていく子どもたち。そして、自分とはまったく違う人と出会って、その相手を認めようとする姿勢にもグッときてしまいました。難しく高尚な祈りよりも、生を肯定する純粋な祈りのように思えまして…。

物語から離れて日本人的な祈りから、お米のこと、ラスコーの壁画についてなど、新年にふさわしい色々な話ができて良かったと思います。

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これ、先日行ったラスコー展で撮った写真ですけれど、ちょっと「はっぴぃさん」に通ずるところがあるような気がします。

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午後の読書会は「ロミオとジュリエット」でした。誰でも知っているセリフまである、超有名なシェークスピアの作品。

ここにもラスコーに通ずる生を肯定する祈りがあるような気がします。まだ14歳にもならないジュリエットの思いの深さ、力強さに励まされました。