夏前に公開されていた映画ですけれど、友人に下北沢でやっていると教えてもらって行ってきました。
『戦場でワルツを』でご自身の戦争体験を描かれたアリ・フォルマン監督の『コングレス未来学会議』(2013 イスラエル・ドイツ・ポーランド・ルクセンブルク・フランス・ベルギー)です。たくさんの国が関わっているのは、後半のアニメーション表現のシーンでしょうか。薬を使って幻覚を見ているところがみなアニメなんですよね。
このデフォルメされ、単純化されたアニメーションが頭の中の出来事だというのが、妙にリアルでした。夢を見て何度も目覚めるシーンがありましたが、夢というのは幻覚に近いのかな…
ちなみに、原作のスタニスワム・レム『泰平ヨンの未来学会議』をんでみると、これはアニメの部分。プライベートな物語は映画特有のものです。
物語は、スターの容姿をスキャンしてそのデータを合成して映画をつくる技術が生まれた時代(つまり、製作者の意図でどのようにもつくれてしまう)、女優ロビン・ライト演じる架空のロビン・ライトが出てきます。
シングルマザーとして難病の息子の面倒をみなければならない彼女は、自ら演じることを20年間諦めて、自分のデータで映画を勝手に撮ってもらうという契約をしてしまうのです。本人は何もしなくても、映画が撮られていきます。
そして、契約更新をする20年後、ロビン・ライトはコングレス未来学会議に出席するために車を走らせます。映画の技術は更に進歩を遂げて…。
真実がどこにあるのかわからない不安な世界。人々は真実に目を向けるか、幻覚の中で生きるかの選択をしなければなりません。でも、チラシのキャッチに「世界がどんなに変わっても、揺るがない愛」とあるように、最後に残るものがあるのだと。
思春期の息子を抱えている身で見ると、そこのところはなかなか重かったです。
ついでに、友人から貸してもらった元少年A『絶歌』を読みました。とても読めないと思っていましたが、若い方々が真摯な気持ちで読んでいるのを知って、読んでみようという気持ちになりました。
97年のあの事件は私がちょうど子育てを始めた時期にあったのですよね。避けていても各種マスコミから情報として入ってきてしまうのが怖くてたまらなかった。今まで、この事件は(類似のものも含めて)、被害者の視点でしか見たことがありませんでした。
でも、だからこそ、加害者の視点を知ることができて良かった。少しでも納得できたほうが良いからです。理解することと犯罪を許すこととは別次元のことですからね。中学生以下の子どもには向かない内容ですが、犯罪の抑止になる本なのではないかと思いました。
一番驚いたのは、少年に対する警察の方々の更生することを念頭においた辛抱強い教育です。事件が起きる前に、こういった教育がどうしてなされなかったのか。母親と息子の関係の重さはまぬがれないこととして、母と子だけではどうにもなりません。
みんなを平均的なところに押し込もうとする教育はますます均一になって、ちょっとの違いも受け入れなくなっている息苦しさがあります。平凡な子であっても、いつ外れてしまうかわからない危うさの中にいるような気がします。やはり、思春期の子を抱える親として考えさせられました。