物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

お花見、高校演劇

ご無沙汰してまーす。すみません。忙しさにかまけてブログを更新していませんでした。

今ちょうど『ピッピのくつした』の編集作業を行っていまして、今号の編集長月見草さんを中心にあれこれ新しい企画も進行しています。発行は来月後半の予定です。なーんて、自分の原稿も全然仕上がっていません…。

最近、ひとつの賃労働の時間と日数が増えてやりくりが難しいところにもってきて、急に思い立って皇居にお花見にも行ってしまいました。

すごい行列でどうなることかと思ったら、それは荷物検査の列でした。

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歩ける道は決まっているので、それ以外の周囲に広がる景色は妙にひっそりしていて、時間が止まっているような、逆行しているような妙に懐かしいような感覚を味わいました。そうか、母方の先祖は江戸の武士だってので、このあたりを徘徊していたのかもしれないなと思いました。

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という思いに浸っている時間もなく、この足で仕事に直行。

その翌日、翌々日は仕事の合間に多摩南地区の高校演劇春のフェスティバルにも行ってきました。

わりと大きな会場、桜美林大学のプルヌスホールで行われましたが、私が見た7、8校どの回もほぼ満席。この地区の演劇の盛り上がりは尋常ではありません。高校生にしかできない斬新でエネルギッシュな作品が多いという印象でした。

たとえば、都立成瀬高校は部活は部活でも「睡眠部」の内容を、そこまでするのかというくらい事細かく解説したものだったり。

日大三高は大勢の登場人物のほとんどが小学生で恐ろしくリアル。最初にみんなで走ってくる走り方がまるで小学生。あれ、高校生というのは小学生と近いものだったかなとおかしなことを考えてしまいました。

「どーん!じゃんけんぽん」というタイトルだったと思います。あるクラスの雑多な子どもたちと隣の小学校の仲良しグループ出てくるのですが、子どもたちの幅がものすごく広いのです。広いのに、ああ、こういう子どもはいるな…いや、いたなと思わせる。個性豊かなんです。

人間というのは小学生で一度子どもとして完成するものなのだなと気づきました。中学生になって思春期に入ると昆虫の変態みたいに、もう一度別の個体になるべくぐちゃぐちゃどろどろになっていくのかも。って、演劇のストーリーとは全然関係ないのですが、小学生のリアリティにはただただ驚かされました。こういうふうに子どもをとらえることができるというのは、どういう観察眼なのでしょう。

いや、そういう意味で、高校生が自己完成していく途中経過を描くその視点が斬新なのです。気づかされるところがあるのです。

ピッピ企画の読書会に来てくれていた高校生たちも出ていました。都立町田「茄子の牛より遅く」は主人公の青年に常に2人の天使と影の計3人がくっついている鬱陶しさ。

和光高校「神様のいたずら」は恋愛を成就させようとひたすら、ではなく微妙にがんばることが自分探しにつながっていく。

そういうものかもしれないですね。