物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

主婦と優等生

今日の夏バテ対策。

写真は載せませんが(想像した方が面白い)ニセ牡蠣を作りました。鶏肉ともずくをワンタンの皮に怪しい形にくるんで茹でてみたんです。夫も子どもたちも「ホントだ、牡蠣に見える」と喜んで食べていました。…たぶん。

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さて、昨日の続きの主婦と優等生の話。

アクセス数が多いので、たぶん皆さん、読んでいるんだろうなぁと想像して、もう少し書いてみましょうかね。

 

昨日書いたのは、優等生というのは自分を狭いところに閉じ込めてしまって外に出られないということでした。せっかく面白いことがあっても、変に真面目に考え過ぎて逆方向に行ってしまうとか。無駄なことに時間をかけてしまうとか。 

 

一日考えてみたのですが…

 

たとえば思春期、若者は色々な体験を通して周囲とはどうしてもぶつかってしまうものですよね。うちの子どもたちに対しての思春期の対応、また自分の体験を思い出してみても、それは若者特有のまっすぐな気持ちがそうさせてしまうのではないかと思います。

もちろん、まだ考えが甘かったり、意志が弱かったり、うまく自己主張することができないところもあるでしょうが、ぶつかることによって嫌でもあれこれ考えることになるんじゃないでしょうか。

そこで試行錯誤したことは自信にもつながるし、結果としてだんだん思った通りに行動できるようになって、むしろ誠実度は増すし、自分に誇りが持てるようになるんじゃないかなぁと私は思います。

 

なんにしても、一歩踏み出さないことには何も始まりません。

 

まず、周囲とぶつかることで自分と周囲の境界線を意識しますよね。それがそんなに単純な割り切れないことも理解するのではないでしょうか。それが自我の確立なのかも。…なんとなく、イメージとしてね。

他人から見て激しい思春期と、外にはそれがあまり見えない思春期といろいろありますが、一歩踏み出すということではどちらも同じことなのでしょう。

 

でも、女性の優等生が昨日の3つの要素を満たしているとすると、

 

 ①真面目にコツコツ勉強するので、テストの点数は一定ラインを越える。

 ②規則を破らない。集団行動を乱さない。

 ③目上の人(先生や先輩)に従う。友人とも議論しない。

 

人と接触するための一歩を踏み出すことができないかもしれないね。周囲とぶつかりそうになったら、それを避けてしまうのかな。私の意見に反論もないものね(と、挑発してますね…笑。ひっかかっちゃダメですよ)。

実は、私は思春期の時点で優等生から脱落しているので、そのへんの気持ちはよくわからないのです。10代の一般的な時期に①②③とも色々な意味でわりと激しく破っています。今もよく考えて、必要があればね。

 

思春期に上の3つを破らないとすると、何があっても動じないで勉強をしたというわけですかね? 何よりも優先して要領よく良い点数をとる。規則は守り、集団行動は乱さず、目上の人は敬って、友だちとは無理やり仲良くするという感じ?

うーん…それは、やっぱり全部ひっくるめて良い成績をとるための行動なんでしょうかねぇ。良い成績をとることが何より優先されるということですよね。わからなくもないけれど、それを今もやるというのはよくわかりません。

 

だって、何のために?

せいぜいパート労働をする主婦ですからね、私たち。

(あ、ごめん。主婦の労働は知力体力を使います。私は30で主婦になってから勉強したことのほうが、それまでの勉強より量的に多いと思っています。)

 

たぶん、何より良い成績をとることを優先してがんばるというのは、ぼんやりしていたらできないと思うんですよ。あれこれ緻密に計算して、根回しして、無駄のない行動をとっているのだと推測しますよ。

…ということは、どうしてもそうしたいのでしょうね。

 

でも、世界は広いですよ。それより何より、この年になって、良い成績をとるために誰に評価されたいのでしょう? まあ、自分より目上の人なんでしょうけれど、誰なんでしょうね? わからない…。

 

反論があったら書いて下さいね。

続きがあったら、また書きます。