手のりカマキリ
明日はラフカディオ・ハーン「雪女」と町田康「告白」の読書会です。よろしくお願いします。
今日はお天気だったので、仕事の合間に山ほど洗濯をしたり、冬の布団も干したりと大忙しで、更にその合間に「告白」の残り100ページをなんとか読み終えました。
その取り込んだ洗濯物から何かがポロっと落ち、なんだろうと見たらカマキリでした。あっ、こうやってカマキリが家の中に入ってくるのかぁ、と納得。
実はときどき家の中に卵が産みつけられているのですよ。私が寝ている頭のすぐ上にあるのを発見したこともあります。
網戸にはりついたカマキリに「うわっ、みつかってまった」という目で見られました。
あれ、もしかして、手のりカマキリ? と手を差し出すと、やはり「わーい」と乗りました。写真撮るからこっち向いてと言ったら、シャッター切るまでポーズをとって動かないでいてくれました。
それでは元気でね、と窓の外に出そうとしたら「えっ、まじ?」という顔。
表情豊ですね。本当かな…。
読書会のお知らせ
10月27日(金)は読書会です。場所は町田市民フォーラム3階多目的室です。
午前中(10時~12時)は〈子どもの本の読書会〉ですが、今回は、小泉八雲の「雪女」です。朗読のあと、ゆるゆる語りたいと思います。
午後(13時半~15時半)の〈ささやかだけれど役に立つ読書会〉では、町田康「告白」の読書会です。連絡が遅くなってすみません。これは600ページ超えてますので、すぐには読めませんよね…。読書会の後に読むという手もあります。初めてのかたもお気楽に参加してください(汗。
ちなみに、その次の読書会は11月24日(金)絵本作家 のぶみさんの本/アンソニー・ドーア「来世」の予定です。
だんだん寒くなってきますね。虫も雨に濡れて寒そうでした。
寒くなってきましたね。
なかなかブログ更新できなくて、すみません。
この気候でなかなか喘息がすっきりしないところ、仕事を増やしてしまっていまして。という状態なのに、抒情文芸に投稿する小説を書いていたのですが、なかなか調子が出なくて苦労しました。14日(土)の締め切りに間に合わないかと思った。直接投函してきました(汗。
その足で急いで神楽坂に出て、詩人クラブの「国際交流フィンランド2017」という会合にも出席。先日、スウェーデンの映画「サーミの血」を観て以来、北欧が気になっていたもので。……あ、「サーミの血」について書いてなかった。
フィンランドは独立して100年なのですね。フィンランドの詩人の講演があり、日本文学がフィンランドに影響を与えているという話に驚きました。色々話を聞いていて、生活習慣、文学に関しても、日本と似ているところと正反対なところとあるらしく、考えさせられました。
翌日15日は、子どもの保護者の方々とスーパー歌舞伎を観に、新橋演舞場へ。飛んだり、水をふんだんに使ったり、やっぱりスペクタクルでした。
「ワンピース」ってマンガはまったく知らないのですが、マンガと歌舞伎の相性の良さを感じました。これは日本の伝統なのでしょうかね。
しかし、さすがに疲労困憊……。
保護者会
三連休は仕事ですが、子どもの高校の公開授業と保護者会に行ってきました。
テーマは進路について。それから、スマホのインスタグラム等では肖像権を意識させてくださいというお話。
スマホと言えば、スマホに支配されて勉強ができないということも多々あるそうです。驚いたのは、その対策として3年生の受験期になるとスマホからガラケーに変える生徒がいると。なるほどなぁと思いました。
保護者会には20名余の参加者。その後の、保護者懇親会には10名余の参加でした。同じ高校に通っているとはいえ、方向性やら背景やら特技やら、それぞれ全く違うことを実感しました。
その後、更に残ったメンバーでおしゃれなカフェでお茶をしようということに。
でも、周囲を見たら、私たちが最年長ということに気づいてしまいました。
オレンジ色のコスモス
雨がしとしと降っています。
このあいだまであんなに暑かったのに、涼しいを通り越して寒いくらい。
昨夕、この雨が降る直前帰宅するときの風景。いったいどこの山奥に住んでいるんだと思いますが……本当はそうでもないんです。こういうところもちょっとだけある。
気づかなかったけれど、ススキが風に揺れていました。なんで気づかなかったのだろう?
前を行く働きアリの匂いだけかいでいたら道は間違わないだろうけれど、自分の時間はなくなっちゃいますね。せっかくの人生、楽しまないとね。
足下の雑草に混ざって、オレンジ色のコスモスが咲いていました。
色と形にしばし見とれてしまいました。自然ってすごい。
働かないアリ
なかなかブログが更新できなくてすみません。
最近の不安定気温のせいか、ずっと喘息気味なのですよね。大したことはないし、仕事も普通にしているのですが、やっぱり疲れやすくなかなか余裕がありません。
抒情文芸にもまた小説を投稿しようという気持ちはあるのですが、まるで何も手がかりがなく、どうしようかというところです。身近な題材もなくはないのですが、書こうという気持ちになるにはいまひとつパンチに欠けます。
やれやれ、やれやれ。
そうなんですね、私は「こうしたい」という強い動機がないとなかなか重い腰が上がらないタイプなのです。…でも、あと締め切りまで10日くらいしかないよ。スランプだとは言いましたが、それ以前に動機が弱いんです。勤勉じゃないんです。
ここに映画の紹介も書くとか言って、書いてませんね。次こそ書きますから。
――ホントここまでやる気がない奴か、と自分でも呆れてしまいます。
そうそう、先日、新書「働かないアリに意義がある」(長谷川英祐著 メディアファクトリー2010)を読んだんです。そう、自分は働かないアリだなぁとしみじみ思って、検索したらこの本が出てきたので手にとったんです。
意義、あるみたいでしたね。私が望んていることがそのまま書いてあるような気がして、大変に癒されました。
でも、つい人間は働かないアリのほうが少ないと思ってしまうじゃないですか。働くアリのほうが少ないんです。ある瞬間を見ると、働いているのは3割だとか。良い数字ですね。そのくらいがいいよ、と思います。更に、一生働かないアリは1割いるらしい(笑。
でも、働かないアリがいるからこそ、アリの社会は存続できるらしいのです。やっぱりね。みんなが同じように普段からコツコツ働いていると、いざというときに対応できるアリがいないし、いざというときにみんなが疲れていると対応できないんです。アリも働きすぎると疲れてしまうし、早く死んでしまうらしいのです。
くわばら、くわばら。
こう見えて、私も30代のときにうつ病にかかったことがあり、そのときは色々なことをめいっぱい抱え込んでいて破綻しました。人生の分岐点というのはいくつもありましたが、あれもそのひとつ。回復するために、無理をするのをやめました。いや、できなくなったのかな。
だから、一人の人間がずっと同じ役割というわけではないかもしれませんね。アリも年齢によって働き方は変わるそうですよ。若いアリは大事にしないといけないので安全な内勤、年をとると外勤になって食料を探し歩くみたいです。私たちがよく見ているアリは高齢者ということですかね。
小学校でのワークショップ
先週の金曜日、文学館のかたと一緒に市内の南四小で「物語に入っちゃおう」の演劇ワークショップをしてきました。1年生の3クラスで同じ内容を考えていました。
事前に担任の先生かたにクラスの様子を聞くと、ちょろちょろしてしまう子が少しいますね、という話だったのです。ところが、クラスのカラーは全然違っていて、その幅の広さに驚いてしまいました(笑。
でも、当たり前ですね。色々な個性、背景を持った子供がいるということが公立学校の特徴であり、良さだと思います。その中で学ぶことは大人が思っている以上に大きいのだろうと想像します。こういったワークショップからも、大人とはくらべものにならない刺激を受けているのだろうなぁと子どもたちの表情を見ながら実感しました。
情報化社会では似通ったデジタル情報ばかりがあふれていますから、小学校でのアナログな学びは人生の中で大事なことだろうと思います。
これから未来がどうなっていくのか想像がつかない時代、先が見えないことは子どもたちも漠然とした不安を抱えているのかもしれません。抽象的思考を可能とする前段階として雑多な情報を固まり(物語)で考えることができると良いのかも。こういった物語を理解する機会がもっと持てるといいのにね、と思いました。