物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

祝20周年

町田市図書館まつりが今週末から始まります。ピッピのくつしたでも23日(土)の午前に子ども向けの絵本の中に入っちゃおうのワークショップ(中央図書館6階ホール)、午後は中学生から大人向けのチェーホフ「すぐり」の朗読&読書会(文学館ことばらんど)を開催します。どちらも無料です。

ひと足早く、中央図書館にメンバーが展示もしてくれました。お立ち寄りの際は是非見ていってくださいね。私も見に行かなくちゃ。

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この3月でピッピの活動は20年になります。ずいぶん長くやってきたものですよね…。

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 ずいぶん懐かしい写真もありますね(笑。

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22日の市民フォーラムでの例会でも、プレワークショップ(午前)、「すぐり」読書会(午後 参加費500円)があります。ご興味あるかたはどうぞ。

3月の読書会、図書館まつりイベント

今月は3月22日(金)が例会になります。

▶午前(10:00~12:00)のリフレッシュお茶会は、町田市図書館まつりでやる「絵本の中に入っちゃおう」のプレワークショップを行いつつ、体を動かしながらも楽しくおしゃべりしたいと思います。

▶午後(13:30~15:30)の読書会はチェーホフの「すぐり」をとりあげます。翌日の図書館まつりでのプレ読書会となります。参加費は500円です。

 

図書館まつりでのピッピの催しは3月23日(土)にあります。

▶午前(10:30~11:30)演劇ワークショップ「絵本の中に入っちゃおう」
中央図書館6階ホールにて。子ども向け(小さいお子さんは保護者同伴で)ですが、ご興味ありましたら大人の方もどうぞ。一緒に参加してもらえると嬉しいです。

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▶午後(13:30~15:00)朗読&読書会
場所は町田市文学館ことばらんど2階大会議室に移り、ロシアの文豪チェーホフの短編「すぐり」を取り上げます。この日は朗読もしますので、読書会と言うより、午前中の演劇ワークショップのように物語を堪能してみましょう。

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すぐりというのはどういう果物なのだろうと思っていたら、先日メンバーがすぐりジャムを取り寄せてくれて、別のメンバーが買ってきてくれたパンにつけて食べてみました。なかなかに酸っぱかったです。

酸っぱいすぐりを食べて「なんてうまいんだ」という成り上がり貴族の弟を想像してしまいました。

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雑誌「抒情文芸」春号に「未来」

季刊誌「抒情文芸」春号に、私の小説「未来」を掲載していただきました。多くのかたに読んでもらえるのは、本当にありがたいです。

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先月の例会に小さいお子さんを連れたお母さんがたが参加してくれたこと、大変新鮮で気持ちが高揚しました。やっぱり子どもはいいなぁと思います。小さい子どもと一緒にいるだけで気持ちが若返るのかも。

でも、子育てを始めた頃は何もかも初めてで知らないことばかり、想像をはるかに越えて手がかかることに何も考える暇なく全力で走っている状況でした。あちこち体を壊したりもしました。

よく若い母親を批判する声を聞きますが、手のかかる子どもの相手をしてから言ったほうがいいですね。好きで産んだんだろうと言いますが、ほとんどボランティア。その状況が理解できていたら子どもをつくりません。人類は滅亡しますからね。

小さな子どもを育てている人には感謝です。

子育てがそろそろ一段落しつつある状況下、子育てを始めた頃のことを懐かしく思い出して、自分とは全然違う母子のことを想定して書きましたが、やっぱり子育ては過酷だねという話になってしまいました。

熱海

今年は私も含めて子どもが受験の人が多いということが原因なのかわかりませんが、そ肩こり、腰痛、目の疲れ等が半端ないという話になり、その場にいたメンバーの行ける人で急きょ熱海に行ってきました。

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そういう目的でしたので、表通りから外れて昭和レトロな路地裏に入ってみることにしました。ひときわ古そうな店ののれんをくぐって外に出てきたおじさんが「煮魚定食がおいしいよ」と。

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せっかく教えていただいたので、ええいっ、ととびこんでみると、まるで唐組芝居のセット。いや、装飾ではなく本物すぎる現実感がむしろ演劇の舞台に見えてしまうのでした。

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「煮魚定食は何ですか」とメンバーの一人が聞くと、金目鯛とのこと。金目鯛は魚やさんで見た、あれだなと。

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腹ごしらえをして向かうレトロな場所は、例の18禁の熱海秘宝館。この歳になっての初体験という2人は、わくわくしているようでした。

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日本一短いというロープウェイに乗って向かいます。

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なかなか見晴らしの良いところでしたよ。

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秘宝館は残念ながら撮影禁止なので写真はありません。

私は若い頃に何組かの友人たちカップルと行ったことがあったのですけれども、いきなり30年前にタイムスリップしてしまったことがあまりにスリリングで目眩を感じました。

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泊まった部屋から見えた気色です。ここはどこ? 香港かと思ってしまいました。

近場の手ごろな旅ですが、旅はやはり良いものですね。

クッツェー「モラルの話」読書会 その2

クッツェーの単行本『モラルの話』の中に入っている「老女と猫たち」を今月の読書会でとりあげました。

読書会の後、予想外に盛り上がっています。色々な方にこの小説について感想をもらったり、疑問を受けて多くの会話をしました。やはり良い小説というのは、あとからじわじわ効いてくるものなのでしょうか。

読書会でこの作品をとりあげたきっかけは、メンバーにこの本を購入してとても面白く読んだというかたと、途中で苦しくなって読み進められなくなったというかたがいたからなんです。二度目は最後まで読んですっきりしたそうなのですが、最初はなんで読めなくなってしまったんだろうと。

読書会当日は、そのひっかかりの部分が何かということに多くの時間を割いてしまった感はありました。〈猫には顔がない〉という部分です。そこを解かないと、入っていけないですからね。

ただひとりの大学生の参加者には、そこにみんながひっかかる意味がわからないと言われました。でも、世代の問題ではなくて、大学の仲間と読書会をしたとしてもたぶんそこでひっかかるだろうということでした。何かにひっかかると思考がストップしてしまうと先に進めなくなるので、とりあえず保留にして後で考える手もあるのではないかと。

なるほど、そうできると良いのかもしれません。

もうひとつ、先月出版された『天才は凡人に殺される』(北野唯我著 日本経済新聞出版社)と比較する読み方を複数の参加者とすることになりました。この本は、「職場の人間関係に悩む、すべての人へ」というサブタイトルがついている、ビジネス関係の本です。

天才(創造性)、秀才(再現性≒論理性)、凡人(共感性)という三つの立ち位置で考えていくとものごとがどう解けるかという本かと思います。3者は釣り合っていないんですね。

天才は、秀才と凡人にプラスの感情を持っている。秀才は、天才にも凡人にもマイナスの感情を持ちやすい。凡人は、秀才を天才と勘違いして尊敬し、天才にはマイナスの感情を持ちやすい。

↓これ、すごくわかりやすかったです。
https://r25.jp/article/645192431250156302

色々なところにあてはめられ、実は私たちのサークル〈ピッピのくつした〉の中でもこの構図で読み解くと、色々と改善すべき問題が浮き彫りになったりしました(^-^;

「老女と猫たち」には、クッツェーの分身のような老作家であり母親のエリザベス・コステロと、その息子のジョン、母親が面倒を見ている問題行動のある男性パブロが出てきます。この3人をそれぞれ天才、秀才、凡人と考えて読むとどうかと。

この小説が秀才である息子ジョンの視点で語られていくので、天才である母親にも、凡人であるパブロにもあまり良い感情を持っていないのですよね。もしかしたら、それが現代人の推奨される立ち位置なのかもしれません。

そして、意図的にその秀才の立ち位置にいる人に向けてエリザベス・コステロが必死に語っている小説なのかなと私は思いました。彼女の言葉に聞く耳を持たないと、なかなか読めない。天才の言葉はわかりにくいですから。  

 

クッツェー「モラルの話」読書会

連作短編集『モラルの話』(J・M・クッツェー/くぼたのぞみ訳/人文書院/2018)の真ん中あたりに入っている「老女と猫たち」をテーマに読書会をしました。この本は英語で書かれたにもかかわらず、スペイン語版、次いで日本語版、フランス語版が出版されました。これは著者が英語が世界に及ぼす覇権に抵抗する姿勢を表したもの。

J・M・クッツェーの小説に私が触れたのは、2013年の東京国際文芸フェスで自作を朗読すると聞き、予習のために読んだのが最初です。ダイナミックかつ緻密な構成に驚き、すっかり夢中になって次々読んでしまいました。

でも、クッツェーの小説を読むといつも何かがひっかかってそれが解消されないまま残るのですよね。たぶん私が日本人的な感覚を持っているからなんでしょう。「老女と猫たち」も、この短編集の中で特にひっかかった作品でした。

小説の始まりの部分、老女が息子に語る「猫には面はあるけど顔はない」という言葉。「本来の顔のある生きものは人間だけ。われわれの顔が人間であることを証明しているの」「動物に性格がないのは動物に顔がないのとおなじことよ」

「われわれにだって、あなたやわたしのことだけど、生まれたときから顔があるわけじゃない。なだめすかしてやっと顔があらわれる」

人間とそれ以外の生き物の間にラインをひくことは、日本人の感覚にはないことかもしれません。その違いに愕然としつつ、もしかしたら、猫だけでなく、自分も猫側にカテゴライズされているのではないかという恐れを感じてしまいます。

いや、もちろん、話の肝はここではなく、もっと先にあるのですけどね。

読書会にはサラリーマン、女子学生の参加もあり、多角的に読めて良かったと思います。 

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今日はなぜかこんな場所にいます。おやすみなさい。

「おばかさんのペチューニア」中身とパッケージ

昨日の例会、まずリフレッシュお茶会の報告を。

午前中のリフレッシュお茶会にはもうすぐ小さいお子さんたちが参加してくれて、心和む時間になりました。先月、生涯学習センターで「サークルを続けるノウハウ」という私の講演を聞いてくれた方お2人がお子さん連れで参加してくれたのです。

今回のお茶会は、図書館まつりの演劇ワークショップでとりあげる絵本をどうするか相談しようという実務的な案件があり、候補となっていた絵本「おばかさんのペチューニア」(「がちょうのペチューニア」)を試に読んでみることからスタート。それを小さな女の子と男の子が聞いてくれているというグッドタイミングでした。

この絵本、小学中学年以上向けくらいのお話でしたが、お子さんたちはお菓子を食べたりあれこれいじったりしながらも耳がぴくぴく、目はちらちらと絵を確認。同時にいくつもの感覚を使って世界を把握しているのが感じられて、当たり前なのですが人間とはもともとこういうものなのだと再確認することに。

参加者から、子育てで大切なのは何よりスキンシップで絵本はそのためのアイテム、絵本の情報はここで得るという意見もあり、なるほど良いことを言うなぁと思いました。最近、中身とパッケージの関係につしいて考えていたので納得しました

母子の読み聞かせにも、絵本にも、小説にも、中身とパッケージがあるということです。人間関係にも中身とパッケージがあるのかもしれません。

そうそう、この絵本の主人公がちょうのペチューニアも、本を翼の下に挟んで持って歩くというパッケージにとらわれて自分が賢いと思い込んでしまったのです。本人だけでなく、首を伸ばして偉そうに振舞うパッケージに周囲も騙されてひどい目にあいます。動物たちはペチューニアにアドバイスを求め、本当は賢くないペチューニアがまったく反対のアドバイスをしていくからです。それがあまりにおかしくて笑ってしまいますが、こういうことって本当にあるなぁと怖くなったりもして…

ペチューニアはとても面白い本なのですが、お話の言葉使いが少し難しいのと近くで見ないと絵の魅力がなかなか伝わらないかなぁということで、絵本の中に入っちゃおうのワークショップには残念ながらボツとなりました。

 

午後のクッツェーの読書会もとても面白かったので、あとで報告を書きます。