50代の体質変化
更年期のせいなのかわからないのですが、少なくとも体の変わり目の年齢らしく、体のあちこち変化があって混乱しています。
ひとつは、喘息が消えてしまったこと。どうなんでしょう、本当に消えてしまったとはまだ信じられないでいますが、今年に入ってからはゼ―ともいいません。不気味なくらい気管支の通りが良いのです。私の場合は産後の体質の変化によって喘息になったのだと思いますが、もしかしたら子育て終了の合図なんでしょうか。
もうひとつは、脈が飛ぶような動悸がするので、怖くなって病院に行ったんです。でも、心電図をとったりあれこれ診てもらいましたが、何も問題がなくむしろ以前より調子が良くなっているという結果。「更年期によくあるのですが、神経過敏では?」などと言われました。そんなバカな。
でも、微妙に血圧が高いということがわかりました。そうか、血圧が上がっていて変な感じがするのですね。友人知人に聞くと、皆、更年期の頃に血圧が上がったというんです。ああ、そういうものなのか。
私はもともと血圧は高めだし、遺伝的に塩分がきいてしまうタイプ。なのでいつも塩分をやや控えめにしてきましたが、最近それを忘れていたのでした。いかんいかんと少し塩分を抑えることにしました。若い頃は飲めなかったコーヒーも量を減らすことにしました。それで、どうにかこうにか普通レベルの血圧に戻りました。
そして、もうひとつ。体重が増えているんですね。まずいことに金沢旅行でつい魚介類を山盛り食べたら急増。いくら歩いても、そりゃあ食べた分だけ太りますね。今のところ、戻る気配なし。なんとかしなければ…
4月26日はリフレッシュお茶会、読書会、総会があります。
4月26日(金)11時半から総会があります。
総会と言っても特に問題となっていることも話し合うこともないので、前年度の報告とこれからの予定について話をしましょう。途中から具材を煮始めて、お昼はみんなですいとん豚汁をいただきたいと思います(お椀とお箸をご持参ください)。
午前中のリフレッシュお茶会は10時から11時半と少し短縮になりますが、午後の読書会は13時半より予定通り行います。読書会はクッツェー「恥辱」について話し合います。前々回、クッツェーの短編を扱いましたので長編に挑戦です。
お茶会はリフレッシュのために体を動かしたいという声が多数あるので、前半は〈絵本の中に入っちゃおう!〉大人バージョンということで、トミー・ウンゲラーの絵本「へびのクリクター」を使って演劇ワークショップもします。大人向けですのでそれほど絵本にとらわれず柔軟に体を動かしてみましょう。その後、ゆっくりお茶を飲んでおしゃべりしましょう。
最近ブログを PC だけでなくスマホでも更新しているのですが、写真の大きさがなぜか調節できません。写真はPC からアップした方が良いかな。今回はカフェにてスマートフォンから更新します(^-^)/
金沢の縄文
金沢に行こうと思ったひとつの動機に、相模原市の博物館で昨年末に聞いた能登の縄文土器についての講義の影響があったと思います。まず先端部分にお魚の口を模したような能登の真脇式土器の形に、そしてそれが相模原に伝わったことにびっくりしました。
これです。この土器の先っぽが口の形なのではないかと。
金沢から相模原まで伝わっているというのはどういうことなのでしょうね。町田市の土偶(まっくう)と北海道の土偶が酷似しているというのも不可解ですし、縄文人のやることって本当に現代人の常識を超えています。私なんて、北陸新幹線が開通していなかったら金沢に行かなかったかもしれないのに。
ただ、車なしに真脇に行くのはほぼ無理らしく、時間もなかったのであきらめてしまいました。兼六園の近くにある石川県立歴史博物館があったので、ここにあるのではないかと行ってみました。
お魚土器、ありましたよ。上の写真です。以前見たものよりお魚っぽくなくて、相模原の土器に似ているように思いました。相模原の人はお魚の口とは思わないで、デザインを取り入れたのでしょうね。そういうのってワクワクします。
実は、展示室のほとんどが水槽だったチカモリ遺跡の資料館に足を踏み入れたときに似た驚きを、石川県立歴史博物館でも感じました。
これが博物館です。
もとは旧陸軍の施設として明治期に建てられたものらしく、さすが100年の風格があります。
ひとつめとふたつめの棟の間に入口があるという看板があったので、この道を歩いていきました。そのひとつ目の棟の向こう側を見て、あっと思いました。
この透明な物体。二つの棟の間にあった休憩所の不思議なデザインに目が釘付けになってしのまいました。すごい。
もちろん中に入ってみました。入らずにはいられませんよね。
ここで休憩しました。何だろうこのセンス。金沢の雨に濡れない仕様なのでしょうか。これ、面白いし、妙に落ち着くんですよね。
自動販売機で買った抹茶ラテを飲みながら、この休憩室、土器の先端のお魚の口のデザインと通ずるかもしれなぁとぼんやりと考えました。全然関係ないかもしれないですけどね。
金沢旅行をもう少し
金沢旅行のことをもう少しだけ書きます。
今回は一人旅。一人だとついうっかり動きすぎてしまうだけでなく、気分で予定が変更されていくので目まぐるしいといったらありません。
ラインやツイッターで金沢はこんなだよーとしゃべっていて、質問されるとつい足で確かめてしまったり。
たとえば、金沢は大学が多いし教育熱心な印象だと感じたので友人にそう伝えたら、近県とどこが違うのか?と。
そこで私は通り過ごした四高記念館というところに戻りました。明治26年から約60年間、旧制高等学校として使用された建物の一部が現存。第四高等学校の歴史が展示してありました。一高が東京、二高が仙台、三高が京都、四高が金沢だったのですね。
文学関連では、室生犀星記念館に行きました。犀星が育った犀川のほとりにある雨宝院も残っていました。
雨宝院という名前、やはり雨の多いかなざわならではの名前なのょうか。
他にも水に関連したものがすごく多かったなと思い出します。
これは、縄文時代の、たぶん建物に使われていたと考えられている柱の遺跡。展示室のほとんどを占める水槽にどっきり。最初真っ暗だったのを私が行って明かりをつけてもらったので。
これ、水から出して乾燥すると崩れてしまうそうです。縄文時代の柱ですものね…。
これは、二十一世紀美術館で見たプールの作品。
今日はこのへんで。
旅と血行の話
旅先からブログを更新できず、ごめんなさい。
金沢に二泊の旅をしてきました。旅先からブログにアップしてみようという予定でしたが、急に思い立った旅なので計画がなく、宿では翌日どこに行こうかと調べるのに精一杯でした。
それより何より、丸一日歩いたら夕方には足がパンパン。足を動かすだけで痛みが激しく少々不安になりました。わりと徒歩には自信があったのですけど、やはり年齢でしょうかね(T_T)
そうそう、初日に立ち寄った老舗交流館というところでできたての冊子「ちまたび」をもらったんですよ。サイズは「ピッピのくつした」より小さいです。住むように巷を歩く旅。日常こそがエキゾチックだ。ふーん、なるほど。金沢市観光政策課の発行と書いてありますが、先進的なんですね。
これを見ていたら銭湯の記事に目がとまりました。足の痛みに、銭湯で温まる手はありますよね。ホテルのお風呂より銭湯の方が熱いお湯に漬かれるかも。
早速、金沢駅から一番近い瓢箪湯というところに行ってみました。本当に足が棒になっていたので、入口ではよろよろつまずいて危ういところでした。周りの人たちに「大丈夫?」と言われてしまいました。かなりダメ。
さて、お風呂はどうだったか?
かなり効いてる感じ。熱いお湯にゆっくり漬かった後の帰り道は、痛みも和らぎ足も軽くなってました。
入浴って、こんなに効く?
50を過ぎてしみじみ思うのは、血行が健康の鍵だということです。旅をして温泉で休むというのは理にかなったことなのかもしれません。
ところがですね、話はこれだけでは終わらないのです。
二晩は熱いお湯に漬かって疲れがとれたのですが、帰宅する晩はお風呂に入れなかったのです。
乗っていた北陸新幹線が大幅に遅れることになってしまい、大宮に着いた時にはすべての電車が終わっていました(T_T)
帰宅できず、東京駅で新幹線ホテルに一泊することになりました……トホホ。
新幹線ホテルというものがあるのですね。初めて知りました。新幹線に乗ることなどほとんどないのにこんな貴重な機会に遭遇するなんて…(T_T)
ホテルというのは新幹線の座席で仮眠するということです。男女の車輌は別だし、駅員さんには「ゆっくりお過ごしください」と言われましたが、眠るには座席は狭く硬いです。
体は痛くなるし、疲労のせいか気分はどんどん悪くるし、もう最悪。でも、気づいたんです。これは血行のせいではないかと。
で、あちこちからだを伸ばしてストレッチをしてみたら、気分が少しずつ良くなってきました。やっぱり血行だったのですかね。
それでも眠れないだろうと思っていましたが、気づいたら「始発が出ます」という駅員さんの放送で目覚めました。意外なことに気分すっきり。
これは支給された朝食です。お腹が空いて、家に着く前に食べてしまいました。
実は、この日は仕事だったんです。次の日も、その次の日も、今日も、明日も明後日も仕事で、さすがに血行というより気持ちが疲れています。
すみませんね。金沢のこともまたあとで書きます。おやすみなさい。
4月26日に総会があります。
来月の例会は4月26日(金)11時半から総会もあります。お昼前後にはとん汁を作る予定です。活動にご興味ある方も是非遊びにきてください。
〈ピッピのくつした〉を立ち上げて、今月でちょうど20年になります。たぶん。これ、スタートをどことするかによって微妙に変わってきますが、ピッピのくつしたという名前をつけてから20年ではないかな。
あまりに長くて気が遠くなってしまいますね┐(´~`;)┌
本当に大勢の方が参加してくださいました。色んなアイディア、意見があったこと、(^人^)感謝です。これからも多くの方が参加してくれたら嬉しいです。
20年同じ活動をしてきたわけではなく、バランスをとりながらその都度波に乗ってここまで来たのですよね。それが大事。そういう柔軟さを失わないようにしなければと思っています。