物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

週末のイベント

忙しくしていると体力的に厳しく、PCを開く頻度がますます減っています。もう少しペースを考えないといけないのでしょうね…。

先週末は、中央大学の学園祭で町田康氏の講演会があると教えていただき行ってみました。「告白」の読書会をやったばかり、あまりにタイムリーですものね。「読むことと書くことの関係」というタイトルそのままの丁寧なお話でした。

簡単に言うと、文章力をアップさせる方法などないので、最初から書くことを考えてもしょうがない。まず小説をゆっくり百回読め、と。本当にそうですね。みなさん、ぜひ読書会に参加してください。

あ、これだなぁと気になったこととして、何か立派なことを言おうとして(私たちの読書会で言えば、正解を求めて)大したことにない変な軸を立ててしまうと、それにとらわれこわばってしまい、自由に読めなくなってしまうということ。これ、読書会でもよく見られることです。

自由にというと「好きに」と勘違いしてしまうかもいますが、そうではなくて、何にもとらわれずにゆったり読むと、色々なことを感じるものなんですよね。そういうことを言っておられるのだろうと思いました。

そうやって読み続けると、良いものと悪いものの区別がつくようになり、更に読むと、本物と偽物の区別がつくようになると。この能力って、読書だけに使えるわけで

はないと思うのですよね。

今週末はお隣の明星大学青年団の「ヤルタ会談」を観ました。公演の後、平田オリザさんの講演と質疑応答もついているという大学主催の公開講座でした。

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今まで平田オリザさんの演劇は何本か見ていますが、ちょっと違う印象。ヤルタ会談といえば三国のトップ会談ですが、リアルなものではなく戯画化したすたーりん、ちゃーちる、るーずべるとが出てきます。

きわどい表現も多々あり――というのも私たちがあまりに表現の自粛になれているせいですが――ものすごく重い内容を軽くしてしまうところで観る人を不快にさせる問題もあると思いますが、逆に、ふっと力が抜けて気持ちが軽くなりました。健康的な感じというのでしょうか。

演劇はプロパガンダではないので、たとえば「戦争をしてはいけない」という主張をするのではなく、戦争が起こったのはこういう事情があったからなのだということを解明し説明することなのだというお話に共感しました。

小説もそうだと思います。「告白」もそういう小説でしたね。そういう意味で、小説も演劇も社会に必要なものなのですよね。