物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

天野天街

少年王者館の作・演出をされていた天野天街さんがご逝去されたのは七夕でしたから、もう10日過ぎてしまいました。リアクションのとれないまま、はるか昔のことになってしまったような気持ちです。
遠くに行ってしまわれたんだなぁと少しぼんやりしてしまっています。

昔、私は舞台照明の会社で働いていたこともあり、もちろんそれだけが理由ではありませんが、週に何本も演劇を観たり、自分でも生の表現活動していた時期がありました。20代は何のしがらみもなく生活は自由、本当に元気いっぱいでした。

そのせいか、何をするにも実態と触れる手応えが欲しく、文章を書くより朗読、絵を描いたり、体を動かすことの方がしっくりきました。1人での作業よりも友人たちとの作業に魅力を感じました。
(まあ、今もピッピで活動するのはそういうことですね…)
若いうちに自分の枠を広げなければという焦りもあったと思います。

そういう時期に、少年王者館の芝居と出会いました。最初に観たのは1990年の『星ノ天狗』でした。
とにかくものすごい観客数でした。小劇場ブームでしたかね。

芝居が始まる前に異様に凝った舞台美術を前にしたところから、深い森の奥に迷い込んで、時代も何もわからなくなってしまった完全迷子状態でした。
そこから芝居が始まると、足元から何からすべてがらがらと崩れ、手放しでバランスをとりながらジェットコースターに乗っていました。それも、有機的な蔦の絡まるジェットコースターです。
いつの時代とも知れぬ星空を飛んだと思うと、自分自身の中にすらぐんぐん潜っていきました。

観終わってしばらく呆然としてしまいました。帰り道がわかりません。本物の完全迷子状態に陥っていました。これが演劇の醍醐味だと思いました。

幸運にも、そうやって、自分の人生に乗り出す予行練習ができたのかもしれないなぁと思います。その後、本当に次々色々なことがありましたから。
そういう下準備があるかないかは結構大事かと思うのです。

5年前に父が亡くなるときも、父に下準備があったのを、そばにいて実感しました。

父は少しでも長く生きたいと思っていたでしょうが、死を怖がってはいませんでした。人生に満足していました。

最後の数日間、自宅の介護ベッドに寝ていた父は体調について訊かれると「すこぶる良好!」など答えました。お医者には今日明日にも危ないと言われましたが、とても信じられませんでした。

気持ちよさそうに寝ているま時間はますます長くなっていきましたが、うちの娘や息子が来ると「おおっ、よく来た、よく来たー!」と感激して孫たちの手を握りました。
ただ、短時間ですが、悪夢にうなされることがありました。眠っているのか起きているのか判然としない薄目を開けた状態で、何かに大げさに反応するです。
大酒飲みで肝硬変の末期だった父には、肝性脳症で幻覚が見えているのだろうと言われました。

そのときの父の反応があまりに繊細で鮮やかなので、ベッドの横に座って父の手を握る私には、父の見ている幻覚を一緒に見ている気がして冷や汗が出ました。

昭和レトロな街中を父は何かから必死で逃げてはいました。が、フェイントをかけたり、出し抜いたり、裏をかいて逃げ出したり、少し楽しんでいるところもあるみたいでした。
これは少年王者館の芝居の中に入っちゃってる状態ではないかと私は勝手に思っていました。

少年王者館『ソレイユ』(作・演出天野天街)東京公演は行くつもりでチケットをとっていました。今回の演出はすべてが天野さんではないのでしょうね。でも、やっぱりどこかで天野さんが演出しているのでしょう。楽しみです。

(2018年4月『高丘親王航海記』)

それにしても、父に一度あの芝居を観せたかったなぁと思います。絶対に好きだったと思うのです。