物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

『現代ウクライナ短編集』『日本その日その日』

昨日の新聞で、ノーベル文学賞を受賞したベラルーシの作家スベトラーナ・アレクシエービッチ氏の邦訳本についての記事を読みました。

有名な『チェルノブイリの祈り』は岩波現代文庫から出ており、今後も重版していくようですが、他の作品はすでに版権が消滅しているそう。

それで、群像社から出ている『ボタン穴から見た戦争』『死に魅入られた人びと』『戦争は女の顔をしていない』は他の出版社が新たに版権をとって出版するらしいですね。

知らなかったのですけれど、群像社って一人で経営しているロシア文学専門の出版社なのだそうです。

へえ~、と思っていて、今日読んでいた本をふっと見たら、群像社の本でした。

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『現代ウクライナ短編集』(藤井悦子 オリガ・ホメンコ編訳)という本です。来春、若者向けの読書会で朗読できるのではないかなぁと思ったのですが、これ、なかなかすごいです。

それから、まったく別の本として、最近読んでショックを受けた本は『加害者家族』(鈴木伸元 幻冬舎新書)という本です。

犯罪者を家族に出してしまうと大変なことになるだろうと想像はしていたのですが、まさかここまでとは思いませんでした…。「身内の犯罪で、家族が生き地獄に!」と帯にあり、まさにその通りです。あまりに怖い。

確かに、自分は犯罪には絶対に関わらないと信じられますが、身内が絶対に関わらないとは誰にも言えないと思うんです。まだ、子どもだったら保護者として見ていることはできますし親として責任もあると思いますが、はなれて暮らす親類にどれくらい責任を持てるのか…。親類というだけでも仕事を失ったりするようですよ。

つまり、法律以上に世間の制裁が厳しいということです。場合によっては、刑務所に守られた犯罪者よりも、その家族のほうが強いストレスにさらされます。そういう世間の怖さというのは、日本はかなり特殊なようです。

それは、なんとなく理解できるし、想像できますけどね…。

怖いのは、犯罪者に対して、その犯罪の程度とは別に、世間の風向きによって非難されたり、同情されたりと流れが180度変わること。ゾッとしてしまいました…。

口直しに、今『日本その日その日』(石川欣一訳 講談社学術文庫)という本を読んでいます。アメリカの生物学者エドワード・モースが明治初期に来日したときの滞在日記です。その当時の日本の様子が文章とイラストで生き生きと描かれているのですが、それが現代を生きる日本人の目で見ると、親しみやすいところもあり、びっくり仰天するところもあり、面白いです。

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たとえば、貴族が通う学校で講演を頼まれたモースが不思議に思ったのは、貴族の子どもたちが質素な服装をしていること。なぜかと校長に質問すると、貧しい子どもたちが自分たちの服装を恥ずかしく思わぬようにと、そういう習慣が昔からあるのだと。

ああ、確かに、こういうのは日本的だなぁという印象。でも、今はどうでしょうね。

モースが子どもたちに生き物について教えると、日本人の子どもが花、キノコ、昆虫、その他自然のものに詳しいことに気づきます。

そのレベルは、アメリカでこれらを研究する人と同等だと。昆虫については、田舎の子どもは数百種の俗称を知っている。アメリカの子どもが知っているのは十ぐらいだろうと。

これも、想像がつきます。でも、今は虫が好きだと変な目で見られちゃうのかなぁなんて心配になります。