物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

エンジン・サマー読書会報告

日々の生活に追われているうちにすっかり年の瀬。
年齢が同じくらいなので仕方ないですが、両親と義理の父と皆それぞれ不調を訴え、特に父が深刻な病と診断され、余命宣告までされてしまいました。
以来、意識の何割かが常にそちらに使われている感じです。色々対策して頑張っています。
私はそんなに父のことが好きだったのかな? と首をかしげるけど、医師の言葉を信じることができず、なんとか元気になってほしいと思っている自分がいます。
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今月の読書会のテーマ本はジョン・クロウリー「エンジン・サマー」でした。取り上げるのは2度目なので再読の参加者も多く、それぞれ自分に引き寄せなんとか噛みきれて味が出てきたかなといった感じです。

この本は、SFエンタメ小説っぽい始まりかたをするのでつい油断してしまうのですが、実はすごく複雑にできています。
主人公〈灯心草〉が生まれた迷路街から物語は始まりますが、直線的にストーリーを語る一方、不可思議なエピソードを含むいくつもの枝道が絡まりあっています。まるで迷路街の道が蛇のようにとぐろを巻きつつ、蛇の手なる無数の枝道があるように。
〈灯心草〉も、メインの道よりも枝道の方が大事だと語ります。

この迷路街の少年〈灯心草〉はかなり原始的な生活をしていますが、彼の話を聞く少女は天使に属する文明社会の人間。たぶん読者である私たちに近い存在です。読者は、彼女の立場でかなり不思議な〈灯心草〉の話を聞くことになります。

迷路街にはファイリングシステムなる透明な硝子板を重ねて絵を見るシステムがあり、読者も〈灯心草〉〈少女〉と自分等、いくつもの硝子板を重ねて読むことになるのでしょうね。

たとえば私は、父のことに心を奪われていたので、〈灯心草〉とその父親〈七つの手〉のやりとりを興味深く読みました。

父親は部落を出て外の世界に旅立ちたいとずっと明言しているのですが、それが父と息子の関係に結び目をつくっている。というか、それが結び目の存在を知らしめるものなのかな。
結び目というのは、嫉み妬み等コミュニケーションの流れを滞らせる負の感情でしょうか。

〈絵の具の赤〉という老婆のアドバイスから〈灯心草〉は、父に一緒に連れていってくれと頼みます。繰り返さず本心から一言で。

父親にまず足慣らしの遠足に誘われて、2人は出かけます。その足取りはどう考えても父親の方が確かなのですが、行動を共にしているうちにお互いが感じとっていきます。外の世界に旅立つのは息子の〈灯心草〉だとお互いが理解するのです。
たぶん、もともとそうなんですよね。そこを見ないようにして、お互いがお互いを意識しすぎて結び目ができてしまっていた。結び目がほどけるとお互いがお互いを思いやれるようになる。
そういうこと、あるなぁと思いました。

2人の結び目がほどける瞬間を、自分の今経験しているまったく違う出来事と重ねてリアルに感じました。

物語の面白さってこういうところにありますね…