物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

1月の読書会のお知らせ

忘れないうちに今月の読書会のお知らせをしておきます。

1月26日(金)町田市民フォーラム3階多目的室にて行います。

【1】子どもの本の読書会(10時~12時)

本に関わる意見・情報交換から雑談まで、あれこれしゃべってリフレッシュする時間です。今回のテーマは、町田市在住の絵本作家 中垣ゆたかさんの本。

【2】ささやかだけれど役にたつ読書会(13時半~15時半)

こちらでは真面目にみんなで語り合って小説を読み解いています。今月は川端康成の「みずうみ」をとりあげます。

 

先日の演劇ワークショップは疲れ様でした。

小学生のお子さん2名が参加されて楽しまれたようでしたが、予想以上にタイトルぴったり「若い人と一緒に血行を良くしよう若返ろう」というものでした。ここは鍛えておかないとヤバいぞーと気づくところ多々。自宅に持ち帰って、使えそうなエクササイズがたくさんありましたね。

演劇ワークショップ

ぎりぎりのお知らせになってしまい、すみません。

明日1月5日(金)の午後、ピッピのくつしたのイベントがあります。

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★演劇ワークショップ
「若い人と一緒に血行を良くしよう!若返ろう!」

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ということで、年配者のための企画なのか若い人のための企画なのかよくわかりませんが、たまには気分転換をしてリフレッシュしてみようということで、軽く体を動かして楽しく演劇体験する内容です。講師は演劇関係の若い人です。〈表現と飛躍〉というテーマのようです。

 

日時/1月5日(金) 13:00~15:00
場所/町田市民フォーラム 3F多目的実習室

参加費/500円(学生さんは無料)

 

ピッピのくつしたでは、今後こういった単発のイベントをときどき企画していきたいと思っています。

実は、私は暮れからすっかり風邪をひいてしまっていますが、明日はがんばって参加しようと思っています。よろしくお願いします。

「こちらあみ子」読書会

12月22日(金)の午後は、今村夏子さんの小説『こちらあみ子』の読書会をしました。今回この本を取り上げたのには、理由がありました。

ある人がたまたまこの本を読んで「とても勇気づけられた」と感想を言っていたのです。ところが、それを聞いた別の人が読んだところ、苦しくて夜眠れなくなってしまったのだそうです。その後、二人であれこれ話したそうなのですが、どうも話がかみ合わないと相談を受けました。こういうときこそ、読書会でとりあげるべきかもしれません。

というわけで、眠れなくなってしまったかたにレポーターを頼み、簡単に発表していただいたのちにディスカッション。

この小説には、何か軽度な障害をもっているらしい〈あみ子〉が家族や周囲と様々な辛い摩擦を経験していったのちに何かを学んで別の境地に達したということが書かれています。それも、一般的と思われる人の視点から他者としてのあみ子が語られるのではなくて、あみ子の目で世界が語られていくのです。

そうだとしても、著者は外側視点を持っているので、あみ子の内側視点との接触面によって物語の輪郭がみごとに描かれていきます。

この日の参加者は十数名でしたが、ほとんどのかたがあみ子の内側の感覚と一般的な外側の感覚をどちらも少しずつ理解して、それが一致しないことにすっきりしない気持ちをもたれたようです。

でも、まあ、現実ってそういうものですよね。自分の価値観と一般の価値観は一致しないことが多いと思うんです。そこをどうやって折り合っていくか、私たちはいつも悩んでいるような気がします。

さて、この本を読んで夜眠れなくなってしまったかたは、どう読んだか?

完全にあみ子視点で読まれたらしく、家族を含む周囲の人々がどうしてここまであみ子の気持ちをくんでくれないのかと憤りを感じたそうです。そういう視点で読むと、周囲の人すべてが悪人に思えるでしょうね。

すっきりしたかたはどうしてすっきりしたのか?

この内側と外側の衝突が、自分の中で起こっていたことに気づかれたようです。一般の側に立とうとする自分があみ子的自分を否定して押し込めていたのだと。その構造に気づいて楽になったのだそうです。

また、このお二人の他に、あみ子視点をまったく考えずに外部視点で読まれたかたもいました。そうすると、ホームドラマをあみ子の視点でたどっていくことになり、家族が崩壊していく様子をリアルに感じられたそうです。

物語って、面白いですね。

クリスマス会

大昔、中学に入学してすぐの頃、出席番号順の席に座っていたときに近くに座って仲良くなった男女4人ずつの8人で、クリスマス会をやったんです。

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クラスで開催するはずだったのが先生に禁じられて、「それなら自分たちでやればいいんだよ」とメンバーの中心にいた友人が言ったらしいけれど、私の記憶にはありません。あまりに昔の話です。

とにかく、その友人が自宅を飾りつけてクリスマス会は開催されました。素晴らしいごちそうがたくさん並んだ、中学生にしては豪華なクリスマス会でしたが、私は小さな弟を連れて出席。他にも弟を連れてきた人がいました。当時は小さな弟の面倒を見なければいけないという意識が強く働いていたのでしょう。

そのうえ私はその中に好きな男の子がいたので、彼のことばかり気にしていました。友人はそんな私を見かねて、プレゼント交換ではその男の子のプレゼントが渡るように気を遣ってもくれました。

その後、クリスマス会は恒例になり、確か高校一年生のときには私の家が会場になりました。2回目以降は6人になって、高校を卒業するくらいまで続いていたような気がします。それ以降は、みんなあちこちに分散したり、私は気持ちが地中に潜って現世を忘れていました。

ところが、ちょうど1年くらい前、地元に変らず暮らす友人から「実はね、クリスマス会は今もやっているんだよ。開催されなかった年はない」と打ち明けられました。えっ、嘘でしょ!と私は声をあげました。だって、うん十年たっていますからね。

今日、その友人が「今年のクリスマス会はいつやるの?」と突然言いました。会話があまり通じなかったので、その言葉に安堵しました。日付の感覚がないと聞いていたけれど、クリスマスってわかっていたんだなと。友人は今年の春に倒れて、今月から介護施設に入っているのです。

「クリスマス会は今日ここで」と言うと「え、そうなんだ。ここでするんだ」と。

もうひとりの友人が「だから来たんでしょう」と言い、大きな荷物を紐解いてお菓子やプレゼントを出しました。テーブルはなかったので、ベッドに2人、車いすに1人座って。

ピカチュウがサンタの扮装をしたぬいぐるみは棚の上に置きました。

「クリスマスカードよりも、こっちのほうが派手だと思って」と友人。実は、彼女が中一のときにメンバーの中心になった人なんです。うん十年たっても、その役割は変わらないんだなと思いました。

だとしたら、私の役割は何だろう? 最近、そういうことをよく考えます。

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公園の枯れ葉の中に蝶が一匹。モルフォ蝶ではなく、もっとずっと小さなムラサキシジミです。

箱根に行ってきました。

めずらしく夫と意見が合い、久しぶりにロマンスカーなどに乗り、箱根の日帰り温泉に行ってきました。

お天気だったけれど思ったより風が強く、露天風呂に入っているときは良いのですが、出ると寒いのですね。風で飛ばされてきた紅葉の葉がお湯の上にはらはらと落ちてきて、冬だなぁと実感しました。

お昼ごはんには蕎麦と丼ものをいただきました。

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あまり考えずに書棚から持ってきたのが田山花袋の「布団」。内容は知っていますが、昔読んだはずなのにどこにも覚えがなく、もしかしたら読んでいなかったのかなぁと。

確かに、自然主義文学というのは、なんとなく古臭い印象で好んで手にとる気はしませんでした。でも、読み始めたら、なかなか斬新。いや、今の時代に読むから刺激があるのでしょうか。

ブログに書き忘れていましたが、先週、近代文学館で作家の島田雅彦氏の講演を聞きました。クリエイティブライフに散歩は欠かせないと言う話でした。散歩ということで、事前の宿題が出ていて、ルソーの「孤独な散歩者の夢想」と大岡昇平の「武蔵野夫人」を読んでいきました。

ルソーと言えば「エミール」ですね。私は教職をとっていなかったので、第一子が生まれた直後に読み、えらく感動したものです。でも、「孤独な散歩者の夢想」のほうは、この「エミール」を書いたことでパリから追放されたルソーが恨みつらみを抱えた自分の内面をじっくり観察してしつこく描写している作品です。え、こんなんなっちゃったのかぁ…と。

でも、やっぱり自分の内面を見ないと、自分を制御することはできないんじゃないかと思ったのです。読書会で「布団」を読んでみるというのはいかがでしょうね。

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17年ぶり

今日は仕事がお休みだったので、サークル〈ピッピのくつした〉立ち上げの時に手伝ってもらった友人と会いました。ということは、つまり、公園デビューで知り合った友人です。

もともと社会教育について詳しかったのはその友人で、私は公園のお砂場でそのレクチャーを受け、へぇーと感心したものでした。社会教育ってそういうものですね。

彼女はその後引っ越しをされ、と言ってもそんなに遠くなかったので油断しているうちに歳月が経過しています。感覚として10年ぶりくらいじゃないかと言ってたのですが、彼女の息子さんに、それは計算が違っているだろう17年ぶりだろう、と訂正されたそうです。

ああ、そうだ、17年前には存在しなかった子どもが、彼女のところにも、我が家にも存在しているのでした。そうかあ…確かに、会ったことないや。生活に追われていたんですかねぇ。

それにしても、人間が増えるというのはやっぱり不思議なことです。その子どもが育つにも大変な親の労力がかかっているわけで、何時間かでそれを語るというのは、とうてい無理なことでした。

読み聞かせワークショップ をつくるためのワークショップ

ブログをなかなか更新できなくて、すみません。文章を短くして、もう少しこまめに書きますね。

この半年くらいスランプ気味。2018年冬号の「抒情文芸」に小説がかろうじて載り、安堵しました。この「ミントティ」という短編、ぎりぎりまで書けなくて、締め切り当日に刊行会のポストに投函したのでした。なんだろうなぁ、小説を書く動機が弱くなっているのかな…。

そうそう、先週、〈読み聞かせワークショップ〉をつくるためのワークショップをしたのです。

――参加してくださった皆さま、ありがとうございました。これを参考に開発していきたいと思います。<(_ _)>

予想はしていましたが、人それぞれ絵本への関心の持ち方ってこんなに違うんだなぁと思ったんです。そして、その選んだ動機が強いほど聞き手には伝わる。だとしたら、淡々と読むだけで良いはずはないですね。

そういうことを証明できるワークショップができると良いなぁ。年明けに、またやってみたいと思いますので、よろしくお願いします。