物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

「ピッピのくつした」マンガ特集 と かくかくしかじか(マンガ大賞)

最初にお知らせ。

次号「ピッピのくつした」は7月発行の予定です。図書館まつりでビブリオバトルの司会をして下さった宮本さんにお話をうかがいたいという案がありましたが、さっそく来月2日の午後2時からと決まりました。

次号はマンガ特集ですね。

マンガと言えば……先日、東山アキコ『かくかくしかじか』(①~⑤巻 集英社)を読みました。マンガ読みが選ぶ2014年の一押!ということで2015年マンガ大賞を受賞したと帯にありました。そうだろうな~、と読んで思いました。

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このマンガ、実は、美術系のうちの上の子どものためにお友だちのお母さんが紹介してくれたんです。そうですね、読み始めたときは、うちの子どもに似ているとも思いましたが、残念ながら、人生はそんな甘いものではないということはひしひしと伝わってきました。そういう意味で、ものすごい成長物語です。

著者が漫画家になるに至った経緯を書いた自伝とも言えるのですが、著者が心を込めて描き出そうとしているのは、美大に入る前に教わっていた画塾の先生。竹刀で生徒をぶっ叩いたりするかなり危ない人なのですが、この人の視点は最後の最後までぶれることがない。教え子がみんな美大に入れてしまうのも納得。

子どもの成長のためには、やはり本気で生きている大人の存在が支えになるのだと実感しました。それが先生であったら、どんなに幸運なことか。今の時代、自分の人生を実感して生きていくことはどの世代にも難しいと思いますが、これから大人になる人たちには大問題ですね。

というわけで、夏目漱石『心』のように(あれっ、内容はぜんぜん違いますね)主人公がかつての先生を語るという物語になっています。…いや、漱石を思い出すというのは、このマンガが文学だからなんです。主人公が自分と他者を見ようとして、区別してようとし、深く思索しているんです。

今の時代、本当のことが書かれた物語が少なく、それが自分の道を見つける難しさに拍車をかけているかもしれません。文学は過激に読まれなくなりましたからね。

(読んだ方がいいですよ、それも質の高いものを。読むのが大変だったら、読書会に参加するという手もあります。よろしくお願いしま~す。)

ここからは余談。

先生と言えば……私にとっては書物の中では尊敬する先生はたくさんいますけれど、現実には思いつかないなくて。もちろん、その瞬間に先生だった人はたくさんいますけど。変わらず先生という存在でいてくれている人と言ったら、高校時代の美術のO先生かなぁ。

物心ついてから毎日絵を描き続け、美術部の部長もしていたので、当時の私の知人は私が美術の道に進むとしか思っていなかったでしょう。でも、ちょうど受験を考える高校2年の半ば、家庭の事情と自分の思うところあって進路を変更しました。選択美術の授業もとりませんでした。「お前、裏切ったな」と先生に言われたことを覚えています。

以来、私は美術の本筋からは外れてしまうのですが(本当は外れたつもりはなかったのですが、大学教育を受けないと外れることになるのだと後で思い知らされました)、社会人になって友人と二人展をやったとき、O先生が駆けつけてくれました。で、「俺、この色好きだよ」と、とりあえず背景の色は褒めてくれましたっけ(笑。そういうことってはっきり記憶に残っています。

今年、ユリイカの新人になったこともO先生はとても喜んでくれ、作品も読んでハガキを下さいました。そういうことに、少なからず支えられているのでしょうね。マンガを読んでそんなことを思いました。