物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

天才、秀才、凡人

昨日の例会は午前中とりあげた平田オリザ著「わかりあえないことから」の話から北野唯我著「天才を殺す凡人」の話に移行し、午後の読書会まで微妙に繫がりました。

前者は今求められているコミュニケーション能力とは何なのかということとこれを伸ばすために演劇を使うことがかなり有効であるということが書かれた教育論の本。後者は企業の中でイノベーションを起こすにはどうしたらいいかということを物語仕立てで説明しているビジネス書。分野が違うだけでなく、タイプの違う著者の異なる視点で書かれた二つの本ですが、だからこそ見えてくる世界が立体になって感じられました。

またそれが見えるということは、私にも、参加者の皆さんにもそれと重なる視点があるということなのだと思うのですよね。

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この本…

教育現場の試験で問われていたのは「おそらく『学力』ではなかった。そこで問われていたのは『従順さ』と『根性』だった」と言われると、ぴんときてしまいます。というのも、私たちがやっている読書会でも読解に必要なのが従順さと根性だと誤解されることが少なくないからです。

お手本を上手に真似ることによって言葉を学ぶことはできますが、物語を自分に役立つ形で読み解くことはまったく別の事柄です。

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そして、この本。

天才、秀才、凡人「三者のコミュニケーションは、『軸』が違うから永久に交わることがない」という言葉に、やはりそうなのかとゾクゾクしました。

「1.主語を、人メインで語る人。凡人に多い。

 2.主語を、組織やルールなどの、善悪で語る人。秀才に多い。

 3.主語を、世界や真理など、超越した何かで語る人。天才に多い。

大きく言うと「主語が『人』『組織』『世界』の三つに分かれる」のだと。

秀才が秀才と呼ばれるのは、やはり従順さと根性が問題とされる学校教育ではこういう人が評価されやすいということなのでしょう。世界も人も大事にしない秀才が評価されすぎることが少々心配に…。

ピーナツ羊羹なるものをいただきながら、そんなことを語り合いました。

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「ピッピのくつした」20周年号の編集が始まります。

そろそろ読書案内「ピッピのくつした」の編集作業を始めたいと思います。基本、例会のある金曜日の午前のお茶会と午後の読書会の間(だいたい12時から13時半)に町田市民フォーラム3階多目的実習室で行います。その他に日を設定する場合もだいたい金曜日になると思います。

毎回でなくてもお時間があるときだけでも大丈夫ですので、興味のある方は参加してください。新メンバーも随時募集していますので、ブログを見た方も是非どうぞ。

とりあえず初回は5月24日正午からになりまーす(^o^)/

わかりあえないことから

今月から今までやっていた仕事に加えてもうひとつ仕事をすることになり、予想以上に自分の時間が無くなって焦っています。本に関わる仕事なので嬉しいのですけれど、まだ要領がわからなくて四苦八苦しています。慣れればなんとかなるかなぁ…。

今日は久しぶりの休日なので、気分転換に一人でズーラシアに行ってきました。かつて子どもを連れて行ったことが一回くらいあったような、なかったような。というくらいご無沙汰していました。

急にお天気が良くなって、人間は毛がないので皮膚がぴりぴりしました。動物園の動物たちは違うんですね。氷が似合うペンギンやシロクマも日向ぼっこをしていて、ライオンなんてこんな感じ。後ろ脚を広げて安心しきっています。

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人間であることって、どれくらい自由で、どれくらい窮屈なんでしょうね。よくわからなってしまいます。

アフリカゾウが鼻をしなやかに動かして草を集めて食べるのには見とれてしまいました。器用に砂だけ落とすのですね。オカピがものすごい勢いで葉の部分だけを食いちぎっていくのも新鮮な驚きでした。

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帰り道のミスドで、平田オリザさんの『わかりあえないことから』を再読しました。人間はそれぞれわかりあえないのが当たり前で、それを前提にわかりあえる部分を探っていくしかないのではないかと。本当にそう。読書会もそうですね。

わかりあえるはずとか、わかりあえるふりとか、わかりあっているから仲間とか、そういうことをやっていても息が詰まるばかり。次回のお茶会で紹介します。

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今月の例会は24日です。

次の〈ささやかだけれど役にたつ読書会〉は5月24日(金)13時半~15時半です。

大城立裕さんの小説「あなた」を読みます。私小説ということですが、90代で書かれている作品ですのでスリリングな読書体験になるのではないかと思います。読書会でとりあげるのは、楽しみ。参加費は500円です。

午前中(10時〜12時)はリフレッシュお茶会があります。体を動かしたいという声が多いので、簡単な演劇ワークショップをやってからおしゃべりをしたいと思います。平田オリザさんの本の紹介もします。こちらは無料。

場所はいつも通り町田市民フォーラム3階 多目的実習室です。

この後の予定は、6月28日(金)7月26日(金)8月24日(土)まで決まっています。8月は金曜に参加できないかたもいるので土曜日にします。読書会でとりあげる本山下澄人「しんせかい」、ゴーゴリ「外套」、8月はその場で朗読できる短編にしたいと思います。

 

 

インディペンデント展

ピッピのくつしたの活動の予定。読書会、絵本ワークショップ&お茶会の日程は5月24日(金)、6月28日(金)、7月26日(金)まで決まっています。内容は数日中に連絡しますね。

 

この春から生活が微妙に変化していて、なかなか一週間のリズムがつかめません。

今までやっていた仕事に加えて、今月からもうひとつ仕事を始めることになったり、健康のために水泳を始めたり。自転車に10年ぶりに乗り始めたということもあります。

(先月金沢旅行で太ってしまったまま体重が戻らないのはなんとかしないと…)

丸一日お休みできる日が少なくなったので、そういう日は意識的に自分のためにお金と時間を使うよう心がけようかな。日常がルーティンになると息が詰まってしまいますので。

それで先週は上野のインディペンデント展に、今週は原宿にデヴィッド・リンチ展を観に行きました。あ、どちらも無料でしたけどね。

インディペンデント展は東京芸大の陳列館で行われていました。

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年齢、国籍、民族、文化信条、ジェンダー等、美術教育を受けたかどうかも問わないそうです。芸術家としての志がある人すべてに出品する資格があるのだとか。

そうだとしても、すごかったな。所狭しと並べられた作品にはそれぞれ別々のパワーがあって、だいぶ風通しがよくなり元気になりました。アートってそういうものですね。

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総会とクッツェー「恥辱」読書会

総会は無事終了。その後、大きな鍋で煮た豚汁すいとんをみんなでいただきました。最後に菜の花も投入。すいとんは事前にこねて寝かせてあったので、かなりモチモチ感があり美味でした。

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なめこも入ってますね。こんな感じ。みんなで食べるとやっぱりおいしいですね(^o^)/

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すいとんの他に、お赤飯やお菓子の差し入れもありがとうございました。

その熱気(どなたかは食堂の匂いだと…)がまだ漂っている中で、クッツェー「恥辱」の読書会が行われました。

この作品は6年前に一度とりあげたことがあるのですが、そのときは主人公に対して非難の声が多かったように記憶しています。今回は再読のかたが多く、クッツェーファンのかたも参加されたこと、この6年の間に時代が変わったこともあるのかな。むしろ主人公の正直さが痛々しいという意見が主流でした。

私も田山花袋の「蒲団」を思い出しましたからね。男性の心の中がリアルに描かれているところが誠実だなぁと。

ただ、それで明らかになってしまうのは女性の置かれた状況。人種問題を扱った作品だと見られているかもしれませんが、それよりも女性問題にさりげなくメスを入れているのではないですかね。

今回の参加者は女性のみでしたが、だんらこそ女性の視点で考えることに不慣れなことも意識させられました。

せっかくなので女性だけでしか話せないような内容にも踏み込み、普段は語れない本音も飛び出しました。出産経験のある人とない人の見方の違い等も確認。読書会ではこんなこともできてしまうのですね…。

みんな同じになるのではなく違いを理解することが読書を楽しむ第一歩なのかもしれません。なかなか貴重な時間でした~。

読書会の準備

読書会の準備のためにクッツェーの「恥辱」を再読しています。以前読んだのは、2013年3月に第1回東京国際文芸フェスティバルにクッツェーが来日する前でした。その時は、展開のスピードのシャープさに圧倒されました。
今は私自身が主人公の年齢に追いついてしまったせいか、主人公の語りを田山花袋「蒲団」にも満似た痛々しさを感じながら読んでしまっています。この作品とは直接関係ありませんが、自分の変化をこういうところでも感じるのだなあと。
同じ小説でも、読んでいる側の状態によって感じることはいろいろです。リアルな小説ほど気づきは多いですね。
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昨日、「ユーリーノルシュテイン《外套》をつくる」というドキュメンタリー映画を見ました。
アニメーション制作がどう行われるかの細部が垣間見えてドキドキしましたが、この映画はノルシュテインが語っていることを描いた作品。ドキュメンタリーという手法に違和感を持つ私は、入り込めない部分がなきにしもあらず。
でもノルシュテインが30年間制作中となっている大作家ゴーゴリ「外套」の解釈は面白いなと思いました。ボロ外套を着た主人公アカーキーはいじめられていて、いじめられるのは子どもだからだと。
ノルシュテインのアニメーションは「霧につつまれたハリネズミ」と「キツネとウサギ」しか見たことがありませんが、ここに共通なのはいじめなのかもしれないなと思いました。
原作を読書会で取り上げてみる手はありますね。
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