物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

創作表現講座

試みに創作表現講座というのを始めています。ごく少人数のプライベートな講座ですが、みんなピッピのメンバーですので、ピッピの活動とも言えなくはないです。

実は、一年くらい前に頼まれたのですが、私は文才がないので文章は教えられないといったんお断りしたのです。世の中のルールにのっとった適切な言葉を適切につなげていくというのは恐ろしく苦手ですから。興味関心があることについては際限なくしゃべり続けられるのですが、心が動かないとずっと無言でいて平気なタイプです。

でも今年になってもう一度声をかけていただき、よくよく話をしてみたら文章技術を学びたいということではないらしいのです。私は何を教えられるのだろうと考えているうちに、今まで色々なことから学んできて、私だけのやりかたで積み重ねてきたことは確かにあるなぁと気づきました。

思わず心が動いて引き受けることにしたのですが、謝礼もいただけるということになり、これは真面目にやらなければいけないなという気持ちにも改めてなりました。このあたり、自分で思った以上に気持ちが変化するのに驚きました。やはり、人間は責任を持ってやる気にならないと、ろくなことができないということなのですね。

先日は新宿御苑の新緑の中、参加者の皆さんとお弁当を食べたリ散歩したり。そんな体験をもとに、なんと、私小説のさわりを書いてもらうことに。作品として書く以前に、私小説を書くことで自分の中に深く入ることだけでなく、色々なことに気づいてもらおうと思ったのです。

参加してくださった方々の文章はそれぞれまったく違っていました。常識人に見えて、皆さん本当は個性的なのでしょうね。独自の世界を構築すべし。

でも、絶対に競争しないでね、と言いました。競争ってホント不幸の芽だと私は思うんですよ。

私小説について考えるのには、安藤宏先生の著書を参考にさせていただいています。とても勉強になります。 

文学館で童謡展

町田市文学館ことばらんどで「童謡誕生100年 童謡とわらべ唄―北原白秋から藪田義雄へ」展というのが2018年4月21日(土)から6月17日(日)まで開催されます。

昨日は「ピッピまくつした編集会議の合間に内覧会にメンバーとともに出席してきました。童謡って大昔からあるものなのに生誕百年というのはどういうことなんだろうと思ったら、1918年に童謡というものを言葉で定義したのが白秋だったのですね。子どものための童謡と童話が掲載された雑誌「赤い鳥」もこの年に創刊されました。

どう考えても私が生まれるよりずっと前の話なのですが、展示を見ていて感じる懐かしさといったらありませんでした。学校ではあまり童謡は教えられないようですが、なんとなく自然と耳に入っているのでしょうか。イラストも可愛らしく、なんとなく現代的な感覚とも思えます。

 

思い出したのは、昔、美術の授業で本の表紙をデザインするように言われたことがあって、私は「赤い鳥」を選んだのでしたっけ。青年期を迎える前の私はそういう趣味だったのでしょうね。

表紙と言えば「ピッピのくつした」の表紙も決まりました。

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次号の編集も順調に進んでおります。今回の編集長は月見草さん。特集は読書会だそうです。来月発行予定です。お楽しみに!

「高丘親王航海記」

土曜の夜、澁澤龍彦原作、天野天街脚本・演出の人形劇「高丘親王航海記」を観てきました。高校生の子どもが観たいというので、私も一緒に行くことにしたのです。

観た直後は感動というよりも、あっち側に行ってしまってうまく考えられなかったのですが、一晩眠って距離をおいたことで整理ができてきたような気がします。じわじわ来る感じです。これ、天野天街氏作成のチラシ。いつも力作ですが、今回の色にもその感じが出ているような気がします。

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実は、澁澤龍彦の原作も出版された頃に読みましたが、あまり覚えていません。80年代後半でしたか、友だちとルームシェアしていて毎週末色々な人が大勢集まって生きものとして熱い時期を送っていたので、入り込めなかったのかな。

同じ頃、毎週のように小劇場に通っており、天野天街主宰の少年王者館の公演をやはり下北沢のスズナリで観てショックを受けていました。こちらは上のチラシのイメージ通りの舞台で、私にとってはえらく刺激的でした。癖になりましたから。

時代のせいなのか、年齢のせいなのか、あの頃はある種の刺激が過剰にあり、更に刺激を求めてたたのですが、それを今も同じように求めていくのには無理があって、そういう状況で観た「高丘親王航海記」はとても良かった。

ラッキーなことに、私が観た公演の後にアフタートークがあったのです。昔よくお見かけしたえにたもみいち氏の進行で、フランス文学者の巌谷国士先生と天野天街氏が語り合うという企画です。

巌谷先生は開口一番、澁澤龍彦は人形みたいな人だったと。人間に似ているけれども人間のふりをした人形。この物語は生身の人間の芝居ではなく人形劇なのが良かったとおっしゃっていました。なるほどぉ…と唸ってしまいました。演劇や美術と文学の違いもそういうことじゃないかと思うのですけどね。

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巌谷先生を囲んで人形たちとの撮影タイムもありました。

 

実は、この前日の金曜の夜、従弟の訃報を聞きました。もう何十年も会っていないのに、子どもの頃は身近で育ったので、少年だった彼の記憶が生々しく悲しくてたまらない状態でした。子どもというのは、その人の本質みたいなものが表にそのまま出ていますからね。私がちょうどそういうものに感じやすい思春期だったこともあります。

それが高丘親王の幼少期のシーンと重なり、この物語が向かう結末に救われました。物語というのは、そういうものですね。(同じ虎が出てくるにしても「山月記」とはなんという違いかと思いました。)

この人形芝居を観ることが追悼になればと思いました。

 

 

 

 

 

 

明日は編集会議

今週は日曜からずっと仕事でした。と言っても、慣れてあまり感じなくなっているけれども、実は、主婦にとっては賃労働よりも家族のケアを含む延々と続く家事のほうが荷が重いのではないですかね。ルーティンの仕事というのが私はどうも苦痛です。

昆虫のアリの仲間で、他の種類のアリをさらってきて卵や幼虫の世話をさせるものがあるそうですが、私はそのさらわれたアリなのではないかと思うことがありますよ。これは本当に私のするべき仕事なのかなと。

話が脇道にそれました。

明日の金曜日10:00から「ピッピのくつした」編集会議です。芹が谷公園内ひだまり荘で行います。「引き続き原稿チェック、予定の確認などを行いたいと思います。」と編集長からメールが来ています。

息抜きモードで参加してしまいそうですが、よろしくお願いします。

お花見、高校演劇

ご無沙汰してまーす。すみません。忙しさにかまけてブログを更新していませんでした。

今ちょうど『ピッピのくつした』の編集作業を行っていまして、今号の編集長月見草さんを中心にあれこれ新しい企画も進行しています。発行は来月後半の予定です。なーんて、自分の原稿も全然仕上がっていません…。

最近、ひとつの賃労働の時間と日数が増えてやりくりが難しいところにもってきて、急に思い立って皇居にお花見にも行ってしまいました。

すごい行列でどうなることかと思ったら、それは荷物検査の列でした。

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歩ける道は決まっているので、それ以外の周囲に広がる景色は妙にひっそりしていて、時間が止まっているような、逆行しているような妙に懐かしいような感覚を味わいました。そうか、母方の先祖は江戸の武士だってので、このあたりを徘徊していたのかもしれないなと思いました。

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という思いに浸っている時間もなく、この足で仕事に直行。

その翌日、翌々日は仕事の合間に多摩南地区の高校演劇春のフェスティバルにも行ってきました。

わりと大きな会場、桜美林大学のプルヌスホールで行われましたが、私が見た7、8校どの回もほぼ満席。この地区の演劇の盛り上がりは尋常ではありません。高校生にしかできない斬新でエネルギッシュな作品が多いという印象でした。

たとえば、都立成瀬高校は部活は部活でも「睡眠部」の内容を、そこまでするのかというくらい事細かく解説したものだったり。

日大三高は大勢の登場人物のほとんどが小学生で恐ろしくリアル。最初にみんなで走ってくる走り方がまるで小学生。あれ、高校生というのは小学生と近いものだったかなとおかしなことを考えてしまいました。

「どーん!じゃんけんぽん」というタイトルだったと思います。あるクラスの雑多な子どもたちと隣の小学校の仲良しグループ出てくるのですが、子どもたちの幅がものすごく広いのです。広いのに、ああ、こういう子どもはいるな…いや、いたなと思わせる。個性豊かなんです。

人間というのは小学生で一度子どもとして完成するものなのだなと気づきました。中学生になって思春期に入ると昆虫の変態みたいに、もう一度別の個体になるべくぐちゃぐちゃどろどろになっていくのかも。って、演劇のストーリーとは全然関係ないのですが、小学生のリアリティにはただただ驚かされました。こういうふうに子どもをとらえることができるというのは、どういう観察眼なのでしょう。

いや、そういう意味で、高校生が自己完成していく途中経過を描くその視点が斬新なのです。気づかされるところがあるのです。

ピッピ企画の読書会に来てくれていた高校生たちも出ていました。都立町田「茄子の牛より遅く」は主人公の青年に常に2人の天使と影の計3人がくっついている鬱陶しさ。

和光高校「神様のいたずら」は恋愛を成就させようとひたすら、ではなく微妙にがんばることが自分探しにつながっていく。

そういうものかもしれないですね。

どこでも読書会

図書館まつりでは、ピッピのくつしたの読書会も開催しました。参加者は中高生以上対象ということで、若い人が来てくれると嬉しいなぁと思っていました。「若い人の意見が聞けると思って来ました」とおっしゃる大人世代のかたもいるくらいでした。

なんと、始まる前に返ってしまった高校生、終わってから来た大学生もいましたが、ばっちり参加してくれた高校生・大学生もいましたよ。良かった~。

テーマは、先日の例会でとりあげた中島敦山月記」です。朗読が終わると、早速、高校を卒業したばかりの女性が、自分の体験に重なるという話をしてくれました。身につまされるということでしたが、虎にならずに吹っ切れた清々しさが伝わってきました。

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若いかたに先に発言をしてもらったのですが、もやっとしているところはなく、かなり明快に読み解かれていきます。ピンとこなかったらしい大人世代のかたは、ストレートな若者の意見を聞いて「細胞が入れ替わった。どういう物語かわかった」と。そういうことってありますね。

私がなるほどと思ったのは、若者が「主人公の自重癖は今の言い方では、自虐のこと」と言っていたこと。自虐というのは実は逃げのことであって、言われる前に自分を落として他人から批判されることから必死に逃げていることなのではないか。他人から批判されるのがものすごく嫌なんじゃないかと。メモしている人も多かったのではないかな。

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その後、意見は途切れることなく渦巻いて、盛り上がっていきました。前回の読書会に参加していたメンバーからも、幅広い視点からの意見があって面白かったです。良い読書会でした。

昔、私が参加していた読書会では同じ本をいつも2回続けて読むことになっていました。読書会の後に少し時間を置くことで物語に深く入ることができるからなのでしょう。ピッピではつい時間がなくて1回で終わっていましたが、やっぱり2回読むことは大事なのかなぁ。

参加してくださった皆さん、ありがとうございました。

みんなで作る演劇ワークショップ

昨日の図書館まつりでは、ピッピのくつしたのワークショップ「ものがたりの中に入っちゃおう」(ひとりだったら5歳以上)と読書会(中学生以上)を開催しました。

図書館まつりはまだ今日もビブリオバトルなどイベントが残っていますし、展示もありますのでお楽しみくださいね。私もあとで顔を出そうと思っています。

ここでは昨日の「ものがたりの中に入っちゃおう」WSの報告を。

ピッピでやっている演劇ワークショップは完全オリジナルのもので、毎回新しいプログラムを考えています。実は、今までほぼ私がひとりで構成を考えてしまっていたのですが、去年の図書館まつりでは子どもたちや学生さんたちとエンディング公演をワークショップでつくるという試みが成功したことに味をしめ、今回は試みにプログラムを作るワークショップで内容を考えてみました。年齢のせいか一人で背負っていくには重すぎますので、この形が定着すると、もっと気楽にできるようになるかも。

思えば、ピッピが演劇に足を踏み入れてしまったのは、ここの場所(図書館ホール)でメンバー何人かが平田オリザさんの講演を聞いたことがきっかけなんです。

自分たちもやってみたいとオリザさんにお手紙を出し、紹介していただいた演出家わたなべなおこさんのワークショップを受けるように。初期は演劇公演をめざしていましたが、多くの人に演劇の楽しさを知ってもらうには演劇ワークショップのほうが効率的かなと考えるようになりました。

ワークショップは最初、学んだノウハウをそのまま使っていたのですが、近年は自分たちの読書会からヒントも得て自然とオリジナルのものになっていきました。一番のポイントは、表現することより体感することに重きを置くことです。(だから、厳密に言うと演劇ではないのかもしれません。)読書の面白さも、どれだけリアルに体感できるかに尽きると思いますので。体感できるから、本当に心が動くのですよね。

前置きが長くなってしまいました。

昨日とりあげた絵本はジョン・バーニンガム「いつもちこくのおとこのこ ジョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシー」という子どもたちには人気の絵本。でも、どうしてこれが人気なんだろうとかつて小学校で読み聞かせをしていた頃は不思議に思ったものです。小さい子どもには難しいのではという懸念を持ちつつ、演劇ワークショップで理解できるのではないかととりあげてみることになりました。

実は、この絵本をみんなで演じるというより、この絵本を理解する前段階にどんなアプローチをするかが大事なところです。絵本の扉を開けるためのいくつかのウォーミングアップゲームを重ねました。

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最初は初めて会ったみんなで距離を縮めるゲーム。これは変則椅子取りゲームです。人と人の間にある垣根を一時的にとっぱらいます。

想像力の感度を高めるために見えないものを空想するゲームをしたのち、今回新しく考えた冒険歩きゲーム。これも行って帰ってくるひとつの物語とも言えます。

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途中、みんなで泥んこの中を歩いているところ。お父さんお母さんがしっかり感じてくれていると、子どもも安心して感じられます。

そして、今度は誰もが知っている昔話の中に入ってみよう。ということで、皆さん旅人になっています。

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休憩ののち、やっと絵本の朗読。みんなが真剣に聞いてくれていると、読み手としも物語が体感できて怖いほどですよ。大人は集中力がないので子どもはもっと集中力がないと思ってしまうのですが、逆なんですよね。

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ということを積み重ねると、絵本の世界を体感している様子も、こうして写真で見るだけでも臨場感あふれています。

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見学に来てくださったかたに「これは大人も体力使いますね…」とため息をつかれてしまいました。