物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

私は、ダニエル・ブレイク

読書会が終わったので『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』のパート2を読んだのですが、階級社会ということが更に受け入れづらくなってやもやしていました。

もしかすると日本は階級意識が希薄なのでしょうかね。差別がいけないという前に、少なくともブレイディさんと同じ世代の私が育った年代なのか環境なのかわかりませんが、その中にはそもそも、あるひとつのことを除いて差別意識というベースがなかったような気がします。

下町の貧しい地域、貧しい(もっと貧しい人がたくさんいましたが)家に育ちましたが、それで差別された経験はありません。逆に言うと、お金持ちの子どもが優遇されるのも見たことがありません。子どもはやたら多く、純粋な能力主義の空気が充満していて、そういう意味ではシビアでした。その時々、その分野で能力のある子がリーダーシップをとっていたかと思います。

ただし、女性差別はあったのです。
これは本当に女性の精神を蝕むレベルで存在していました。そのせいであれほど受験戦争と騒がれた時代に、女性が大学進学することも困難でした。
私も親を怒らせないようにあまり勉強しないよう努力しました。90点以上とれるところを適当に80点くらいになるように調整したりとバカなこともしました。
そういうことをしていると、力を発揮しないようにする癖みたいなものがつくのですよね。精神が歪みます。

私は本を読むことは我慢できず、隠れて本を読むということをしてきましたが、以来、両親に心を開くことは避けてきました。しゃべれば嘘をつくしかありません。できるだけ会わないように、会ったらお天気の話をするくらいです。そのせいで父も早く亡くなったのではと思うほどです。

父の介護が必要になって、また最近は母の介護も必要なのでしばしば実家に行くのですが、それは父と母が少しずつですが考えを改めてくれたからです。
それで母と仲良くランチしていると、これが周囲に羨ましがられるようなのです。驚いたことに、周囲に仲の悪い家族があまりに多いのですよね。話を聞くと、ああ…と傷口に塩をすりこまれる気分。納得できるのです。原因は家庭内の女性差別なのですね。

差別は、される側だけでなく、する側にとっても良いことがないです。それた人は心が歪むしその恨みはどこかに必ず出てきます。ほんとやめてほしい。
そう考えると、階級差別、格差の広がる社会が不幸な世界を招くことは間違いないでしょうね。

そして、昨夜、2016年に制作されたケン・ローチ監督の映画『私は、ダニエル・ブレイク』を見ました。
イングランドニューカッスルに住む年配の腕の良い大工が主人公。心臓病を抱えた彼は医者から仕事を止められますが、複雑な社会制度を攻略できず国の援助をなかなか受けられません。そんな中、同じく援助を受けられない2人の子どもを抱えるシングルマザーと互いを助けあっていきます。
でも、全然救われないのですけどね。善良な人々がホームレスになっていく社会のシステムに驚きました。能力があってもダメということなのですね。

なるほど、これを見て『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の理解が深まりました。